20.5

 最近、燭台切は主にべったりだった。
 いや、別に仕事をサボってくっついているわけじゃない。今の主には一時的にしっかりした手助けが必要だからだ。薬研から聞いたところによれば、この前燭台切が大怪我をした時に狼狽した主が足をくじき、しかもそれに構わず動き回って悪化させたらしい。しばらく安静、だそうだ。
 結果として、主はほぼ部屋に籠ることになっている。風呂も皆が使う浴場ではなく、執務室に風呂を備え付けさせて──本丸はこんのすけの許可が下りれば審神者の霊力で大方が意のままだ──を使っているらしい。飯時や重要な話をする時ぐらいは燭台切に抱えられて広間に出てくるが、接触する機会は一時的に減っている。
 なのに。

「燭台切は主を放っておいて大丈夫なのか?」
「大将の怪我も着々と快癒に向かってる、大丈夫だろ。堀川の心配性がうつったか、山姥切」

 茶化すように笑う薬研へ対し、沈黙する。そういう話じゃない。そういう話じゃないが、この後本人が来る予定なのでそっちに言ってやることにした。
 本人こと燭台切と、薬研、そして俺。この3人が今日の夕餉の支度の当番だ。相変わらず遠征で多くの刀剣男士が本丸を空け、前は刀剣男士と精霊とで犇いていた厨もすっからかんだとはいえ、正確には他にも料理当番は居る。最初の諸々の準備は俺たちの管轄だという話だ。
 俺たち2人はやや早めに厨に来たため、燭台切の姿は無い。
 薬研が、ふ、と息を吐く。

「山姥切が心配するのも無理はないがな。俺もあの時は度肝を抜かれた」

 あの時とは、薬研が主の怪我を診た際のことだろう。薬研はその名に与えられた影響から、薬の知識は元々あった。そこから転じて今度は自ら医術を学んでいるため、主に怪我や病気があった時は大体薬研の出番だ。
 薬研が言うに、深夜、手当てを終えたばかりの燭台切が主を抱き上げて駆け込んで来たそうだ。手入れが終わって良かったなと言うはずが、大将が足首に包帯を巻いているのに気付いたらそれどころじゃなかった、大将から怪我の経緯を聞いてちっと呆れちまった、と。

「混乱すると周りどころか自分のことさえ見えなくなるのは主の悪癖だな」
「そういう大将を支えるのにはもう慣れたし、ま、嫌じゃねえけどな。弟達より世話が焼けるんじゃないかと思うこともたまにあるが」
「それには同意する」

 特に後半。あと、うちの場合、悪癖があるのは呵呵大笑する上の兄弟だが。そろそろ山籠りに行きたいと言い出す頃な気がする。
 そう思案していると、此方に来る足音が聞こえた。その主は言わずもがなだ。
 
「お待たせ」
「ああ。大将は大丈夫か?」
「うん、今は陸奥守君に任せてるよ。丁度経理系の仕事だったから、適任だしね」

 てきぱきと用意をしていく燭台切の表情に翳りは見えない。いつもの余裕を湛えた笑みだ。
 ……それにしても、やはり誰かに代役を務めさせたか。ふん。

「良いのか。あいつと陸奥守をふたりきりにして。主が俺を頼ってきたときは散々視線を寄越してきたのにな。兄弟も居たというのに。俺が写しだからか」
「その節はすまない」

 苦笑した燭台切に頭を小さく下げられる。だがそれに揺らぐことはない。いや、いい、と告げて話を終わらせることにした。
 つもりだったが、背中にごく軽い衝撃を受ける。薬研が俺の背中をぽんぽん叩いていた。宥めるようなそれに思わず眉が動く。俺に向いていた薬研の目は悪戯っぽく細められると、今度は燭台切へと流された。促されるまま、燭台切が言う。

「今は、ほら。名前から僕への認識も変わってくれたから。前よりも余裕が出来たんだ」
「頼れる兄貴分じゃなくて恋仲だもんな」

 完全にフォローされている。
 こうも明からさまだと馬鹿らしくなって、そうか、と頷いた。
 燭台切は頬を掻いて、「今になって考えると随分余裕が無かったと思うよ、格好悪かっただろう」と。俺は首を横に振った。
 気を悪くしたような素振りを見せた身で言うのも見合わない話であり、色恋沙汰など知らないが、俺も少しは情を解しているつもりだ。
 俺には元々与えられなかったものだが、そいつにとっての大切な場所、が奪われることへの危惧はどういったものなのか。胸を掴まれるような恐怖、絶望、悲哀、か。
 ただでさえ山姥切の写しである存在なのに、もし国広の傑作の座まで他の刀剣に奪われていたらどうだっだろうか。
 おぞましい。
 故にこそ、なんとなく、思う。燭台切がこうして、大事な相手に対し、自分の代役を立てて、それでも苦悩せずに立っている、……それは、難しいことなのでは、と。

「……恋仲になったからこそ、尚の事気掛かりになったりしないのか。得られなかったものがそのまま手に入らないより、得てしまったものを失う方が恐ろしい、というのはないのか?」

 それでつい問いかけた。
 燭台切は目を丸くする。次いで首を振った。

「そんなことは起こらないから」

 確信に満ちた声だった。俺が主の手伝いをした時とは、本当に心境が打って変わっているらしい。
 俺も所詮ただの戦友であり、燭台切と特別に仲が良いわけではない。だが、そんな中で培われた燭台切の印象と先の言葉はどこかちぐはぐな印象を受けた。具体的には、あの謙虚な男が、珍しいな、と。
 薬研もこれにはきょとんとして、へえ、などと言った。顎に手を当て、興味深そうに燭台切を見つめている。

「大将の面倒を見てるのは何も燭台切だけじゃないだろ? それこそ俺だって。
 正直な話、大将が燭台切を好いたきっかけは頼りになるからってのが大きいよな。だったら俺たちの存在を危惧しても良いんじゃないのか」
「なんだい、僕に敵視されたい訳じゃないだろうに」
「そりゃあそうだが、んん、あれだ。雅なことは分からんが、恋情ってのには興味がある。俺たちの得ていない『人』だ」

 薬研の答えを聞いて、燭台切も腑に落ちたように首を動かした。俺も同意見なので黙って聞いている。
 燭台切は思案しているのか空に視線を遣り、そう経たないうちに薬研へ視線を戻した。

「薬研君はさっき言ってたね。俺だって大将の面倒を見てる、って」
「ああ、言った」
「そう思ってるなら、彼女を見くびりすぎだ」

 引っ張り出された言葉に頷いていた薬研が、目を丸くする。
 燭台切、少し言い過ぎだ。薬研の台詞は主を侮辱したものではないだろう。
 俺がそう言う前に、薬研本人が口を開いた。が、それを映した金色がすうっと細められる。緩やかに弧を描く。同じく口角も吊り上げられた。燭台切はその口で、ふ、と息をこぼして、俺たち2人を制止する。
 あのね薬研君、という呼びかけが思いの外弾んだ声で吐き出された。
 燭台切は、笑っている。
 笑って、言った。

「君じゃああの子は手に負えないよ」

 君だけじゃなく、僕以外の誰にもね。
 そう付け足して、燭台切は答えを締めくくる。
 ……気付くと、自分の口が開いていた。
 薬研でさえも固まっている。
 燭台切の、その言葉の字面よりも、その色から、音から、俺たちの知らない「心」が突きつけられていた。
 それは牽制なんぞじゃ決してなく。そういう錆び付いた感情とは無縁なところにある熱であり、ただひたすら喜ばしい事実を語るためだけの声色だった。
 主の足首に巻き付いていた包帯を想起する。傷付いた足を支えるため、守るための、唯一の手段。それはどこか枷にも似た、……いや、燭台切のそれは枷のようにきつくかたいものではなくて、しかし何と喩えるべきかを俺は知らない。ゆえに、それは俺たちの知らないものなのだ、と気付かされる。
 羨望が湧く。同時に、どこか恐れ戦く気持ちもあった。
 ──ああ、主。あんたはすごい男を頼ってしまったらしいな。

見てごらん、いつか、僕の高さになったら分かるから

title by afaik 151214