24.5

「稚児趣味」

 遠征からの帰城後、名前に結果を報告し、湯を浴み、部屋に戻る途中だった燭台切。彼と出会い頭に、青江がそんな言葉を投げかけた。
 おかえり、帰っていたんだね。そういう言葉の代わりに発せられたそれへ、燭台切は首を傾げる。

「名前は男児じゃないよ」
「おや、なら言い直そうか。幸い、ひとつの意味を的確に表現する言葉が主の時代にはあるんだしね」

 芝居がかった青江の口調は、今から君をからかおう、と宣言しているように思わせた。
 燭台切は瞬時に周りへ意識を回す。──大丈夫、今も多くの部隊が本丸を空けている。そうそう誰かが来たりはしない。数瞬の間に確認した後、青江へ集中する。
 その視線を受けた青江は口を開いて、

「ペドフェリア。
 ロリコン」
「──それは仕方ないよ、彼女は普通の人の子だろう。僕は鎌倉生まれで、この本丸の刀剣男士の中でだって年長な方だ」
「ふふふ。知らばっくれるなんて、格好良い君にしては珍しい」

 そう言った青江が愉快そうに肩を竦めるのを燭台切はじっと見つめ、やがて、はあ、と息を吐いた。

「……青江君は鋭いね」

 あんまりそういうところはひとに見せてないつもりなんだけどなあ。ぼやく彼の横顔を、夕日が赤く染め上げた。
 青江は笑い、まあね、と。それを横目で見て、燭台切は参ったという風に幾許か瞼を下ろした。青江は廊下の壁に背を凭れると、ひらひらと手を揺らす。

「安心しなよ、恐らく気付いているのは僕だけだ。もしかすると宗三あたりも勘付いているかもしれないけれど、大概の子は君が過保護なだけだと思ってるだろうね」
「出来るだけバレたくないな。特に彼女を気に入っている刀剣男士には」
「心配ご無用。君、隠蔽の値が低いわりには随分と隠し通せていると思うよ」
「痛いところを突くね」
「君は見つかっても実力と頭でなんとかするだろう。そういうの、僕は好きだよ。隠れるのが苦手だって仕方ないさ、君は大きいし。……体格のことだよ?」
「お褒めの言葉、ありがとう」

 意味ありげな言葉は受け流した。刀として、戦場での在り方を褒められることに悪い気はしない。
 それに燭台切は自分の体躯も気に入っていた。主と対峙した際、脇差や短刀のように幼い見た目でもなく、大太刀や槍や薙刀ほど圧迫感を与えすぎず、けれど包み込むように抱き寄せてやれ、いざとなれば背に庇えるような。彼らを貶めるわけでは無いし、それぞれに応じた戦い方で敵を斬り伏せて行く姿は誰を見ても眼を見張るものがあるが、こと愛しの主と接するとなったら燭台切にとってはこのくらいが丁度良い。頼り甲斐、というものを無意識にでも感じさせてやれる。それは彼女が燭台切を「兄さんみたい」と言った理由のひとつであっただろう。
 ──「兄さんみたい」。不本意ながらも、手放すのも惜しかった評価。何故ならそれは、名前が燭台切を頼ることの出来る存在だと見なしていたということで、燭台切にとって、そのことは。

「ねえ。君にとって主は、『ばかな子』なんだってね」
「名前から聞いたのかい?」
「そうそう。……シンプルだけど、さぞかし沢山の意味が篭ってるんだろうなぁ」
「……分かっているんだろうに」

 意味ありげな笑顔に、燭台切は心の中で嘆息する。
 青江は惚けたように首を傾げたが、お見通しなのは間違いなかった。
 ──名前はばかな子だ。
 自分の努力に気付けない子。自らの実力についてせめて人並みだとさえ自信を持てない子。無意識に苦痛を飲み込んでじっと堪える子。自身の感情の把握に疎い子。自覚のないまま心を削る子。
 純粋で愚かで無垢な幼子。
 誰かが手を貸さないと、きっと死んでしまう子。
 ──誰かが。なら、僕が。そうすれば名前は、もっと僕を見てくれる。頼りにしてくれる。必要としてくれる。
 だから燭台切は名前を甘やかす。庇護下に置く。いっそ子供扱いと呼んでしまえるほどに。
 彼女にとっての「馬鹿」という言葉は、燭台切にとっての「格好悪い」に近い。本人が美学として掲げていないものの、彼女は自分がそうであることにコンプレックスを抱いていた。──本当に彼女が、彼女の定義する「馬鹿」であるかは置いておくとして。
 ともかく、自分の負い目を肯定されることがどれだけ心を落ち着けるか。燭台切は、それを知っていた。
 名前ちゃん、という呼称が彼女の糸に触れたのは予想外だったけれど、棚から牡丹餅というやつだ。
 そして、燭台切の試みは成功していると言って良い。この前の、あの朝の鍛錬中に起こった出来事こそがひとつの証明だ。
 彼女は色欲を持つのは大人のすることであって、子供の自分がして良いことではないと思ったらしかった。
 子供でいなければ、燭台切の優しい手が離れていくのではないかと思ったらしかった。
 名前はもはや燭台切の手の内だった。あまりに素直で、疑うことをしなかった。燭台切の思い通りだった。
 ──名前は、ばかな子だ。

「それでなんだけど、うーん、一応謝っておこうかな」

 青江がパフォーマンスじみた仕草で視線を彷徨わせる。
 珍しい。燭台切はそう思った。煙に巻いた物言いの多い青江が、何も付属させない純粋な謝罪の文句を口に出すとは。
 ……それだけのことがあったのだろうか。

「……彼女に、何かしたのかい?」

 ふと思い至ったそのかんばせから、すっ、と表情が抜け落ちる。赤い陽を映して、金色の瞳が鈍く煌めいた。
 青江は燭台切に両の手の平を向けて、胸の前に掲げてみせる。

「おおこわいこわい。してはいないよ。ただ、話の流れでね。
 思い悩むとまではいかないけれど、どうも色恋沙汰やらあんなことやこんなことやらに知識がないのを気にしてしまったみたいで」

 怖いなどひと匙も感じていないだろう笑顔で青江は言う。燭台切は目を瞬かせて、剣呑な光をかき消した。

「……ああ、なるほど。なんとなく様子がおかしかったのはそれか」
「気付いていたんだ?」
「責任を取って、名前のことはよく見てるから」

 彼女に酷いことをしている分、精神状態には気を配っているのだ。

「ふふ、おかしいなあ。君、偵察の値も低いのに」
「名前のことなら別なのかもね」

 言いながら、燭台切は心中に湧き上がる愛おしさを微笑の後ろに押し込めた。
 子供でなくなることを怖がったと思えば、今度は子供で良いのか不安がる、とは。すぐに自分を見下して身を削る。なんて難儀なことで、なんて、かなしいことだろうか。
 しかしそれを望んだのは燭台切自身に他ならない。
 愛おしい。彼女を苦しめているという罪悪感はあっても、すぐに払拭される。
 名前はばかな子だから。
 きっと、こんな僕のことさえ笑って許してくれる、燭台切が恋したのは、幸か不幸か、そういう人の子であったから。

「責任を取ってだとか言っているけれど、それ、どうしたって一番得なのは君じゃないか」
「その辺りももう開き直ってるよ」

 青江の、なんだか凄いなぁ、の声は字面通りの感動とも皮肉とも取れない色をしていた。

「人の子を飼い殺すのは、そんなに楽しいのかな」
「飼い殺すつもりなんか無いさ」

 斬り捨てる。そう言うのがひどく正しいほどの断言だった。青江の眉がぴくりと上がる。

「へえ?」
「殺すなんて、そんなまさか。僕は僕という実践刀を、主を護るための物として捉えているよ」
「護って、生かすための?」
「ああ」
「神様はしつこいってよく言うけれど、君も大概愛が重いねぇ。まあ、それなら安心かな」

 肩から力を抜いた青江を見とめて、燭台切は心の中で首を傾げた。
 やはり、珍しい。今日の青江は、どこかいつもと違う。

「……さっき、はぐらかすなんて珍しいと僕に言ったね。青江君だって珍しいんじゃないかな。自分に関係のない事をからかいに来て、しかも安心だと言うなんて」
「関係のある事だからね。彼女は僕らの主なんだよ、君には牽制が必要だ」
「牽制?」

 燭台切は訝しげに問う。青江は、そう、と頷いた。
 にっこりと笑う彼の目。そこには、ぎらついた光が明確に灯っていた。蛇が獲物を狙うのに似た目付きがもたらす緊張感は、燭台切という刀剣の内をびりりと突く。
 青江は歌い上げるように、

「君との関係が上手くいかなかったりしたら、君が弱いままにしているあの主はどうなるんだい?
 仕事に手を付けられなくなって、僕らを出陣させるのもたどたどしくなること請け合いだ。
 僕はそんなのごめんだよ、戦に出られなくなるとかさ。
 だから燭台切、ちゃんとあの子供の面倒を見ていてくれよ」
「……成る程ね。肝に銘じておくよ」
「そうしてくれると有り難いな。ふふ、気を悪くしないでよ」
「いや、全て納得のいく意見だ。僕も刀だからね」

 頷いてみせる。自分の欲のツケは払うつもりだし、その返済だって燭台切には得をすることでしかなかった。先程青江に指摘されたように。
 青江は笑った。面白おかしいものを見る目をしていた。

「人の子みたいに振る舞うのが上手いのに、刀だって意識の強い奴だよね、君って」
「物が人の子に恋情を抱くのは、やっぱり不思議かい?」
「うん、不思議だ。興味があるわけでも無いけど」
「青江君らしい」

 燭台切の言葉にすました声で返すと、青江は壁に凭れていた体を起こした。牽制という目的を果たした以上、彼はもうこのことに関わる気はあまりないらしい。そのままくるりと軽く踵を返すのを見届けて、燭台切も同じく元の進行方向へ視線を戻す。
 一度だけ足を止めると、青江は振り返らずに言った。

「じゃあね、精神ペドフェリア」
「否定しないよ」

 燭台切は素直に返答する。
 今度こそ部屋に戻りながら、随分と赤裸々にしてしまった気がするな、と溜息を吐いた。青江が言いふらすような性格をしているわけでもないからか、それとも彼自身のどこか浮世離れした雰囲気からか。……いや、実際に言葉にした分は少なかったはずである。言わずとも彼にはお見通しのようだったからそう感じるだけだ。
 食えない刀だな。舌を巻きつつも、もう過ぎたことだと首を振った。それよりも今重要なことは。
 着いた自分の部屋の前、すぐ向こうにある執務室の障子戸に目を遣る。
 ──さて、愛し子の悩みをどう解消していってあげようか。

良い子じゃなくても、かわいい子

title by afaik 160218