守るべきもの02

「あんたは、主の何処を慕ってんだ」

 和泉守の言葉を背に受けて、燭台切は足を止めた。和泉守は口を八の字に引き下げ、怪訝そうな目を燭台切に向けている。剣呑な天色を見つめ返して、燭台切はどうしたものかと思考を巡らせた。
 ──和泉守がこの本丸に来たのは、一週間前のことだった。鍛刀で見知らぬ刀が打たれたことに喜ぶ名前の姿を、すぐ傍に居た燭台切はよく覚えている。新しい刀がやって来るたび喜ぶ彼女を見て嫉みの念を生みつつも、初対面の相手と接することが苦手な彼女を落ち着かせるため、背を撫でられるよう隣に立っているのが燭台切の常。
 よって、彼は見ていた。いかにも気位が高そうである和泉守の立ち姿と名乗りに名前が身を強張らせ、その様子に和泉守が眉を顰めたことを。彼女を知っている燭台切としては、そのあと失礼なことをしてごめんなさいと怖気付きながらも名を名乗って握手を求めていたあたり、名前も少しだけ頑張ったとは思ってしまうのだが。
 刀である以上その在り方として主に従っていても、和泉守は少し心がついていっていないのだと、燭台切は知っていた。
 そしてそれは当然であると燭台切は思う。彼女が和泉守に見せる姿は、気弱、人見知り、という言葉がよく似合う。慣れた刀剣男士に対しての立ち振る舞いも子供のそれ。自分が彼女を甘やかす姿だって、この本丸に居れば何度も見られるだろう。
 和泉守は決して短絡的な男ではない。振る舞いの若者らしさに隠れているだけで、彼の経歴も波乱万丈であるし、刀として振るわれた経験も豊富だ。何より、彼の深いところに根付いている元の主とその周囲の人物の影響は強い。
 そのように真面目で、けれど人情味にも溢れている和泉守だ。強く凛とした姿とは掛け離れた主に「自分たち」が、──というより、「仲間たち」が使われているというのは、思うところがあるのだろう。

「……答えられねえのかよ」

 痺れを切らした和泉守に急かされて、燭台切は顔へは出さず、心の中に困惑を浮かべる。答えが出てこないわけではない。
 和泉守が先の質問の相手としてこの本丸に数居る刀剣のうち燭台切を選んだのは最も彼女を好いているように見えたからで、実際それは間違っていなかった。燭台切にとって、自分が名前に好感をもった理由などは然程考えずとも幾らでも出てくる。
 けれど、それが和泉守の気に召すかと言えば難しい。身内に全幅の信頼と信用と好意を置くところなんか、最たることのひとつだ。彼女に納得して仕えている自分にとっては信頼は嬉しいものだけれど、今の和泉守にとっては、そう簡単に人を信用して敵に騙されたらどうするんだ、とも取れる。和泉守も悪く言えば単純という部類ではあるが、実際に戦う者としての意識はしっかりあるのだから。燭台切は悩んだ末、仕方なさそうに小さく笑った。

「こっちに着いて来てくれるかい」


 燭台切は和泉守を連れて、名前の部屋の方へと向かっていた。彼女は畑当番に行ったことを知っていた和泉守が尋ねる。「忍び込むってえのか」燭台切はその問いに頷いて返した。燭台切は無断での部屋の出入りを許されてはいたし、彼が許したのであれば他の刀剣が部屋に入っても構わないとだって言われていたが、今回ばかりは話が別なのだ。
 戸を引いて襖の向こうへ足を踏み入れると、燭台切は部屋の壁に視線を遣った。つられて同じ場所へ目を向けた和泉守だったが、ただの壁であると見れば部屋の調度品へ興味を移す。不躾だと思ってはいたが、そのあまりの殺風景さに見ずにはいられなかった。あの歳頃の女子の部屋とはこのようなものなのだろうか。違う気がする。ぱそこんとか言う浅い箱のような絡繰り、照明、筆記用具、それらの乗った机、本棚と小さな箪笥がひとつずつ。それから座布団と押入れぐらい。
 色気のねえ部屋だな、と呟く。化粧用具が並んだ机と鏡のある加州たちの部屋の方が、よっぽどオンナの部屋に見えるというものだ。

「本題はこっちなんだ」
「こっち?」

 燭台切は和泉守を手招きしてから、先程見ていた壁の方へ誘う。壁の前に来ると、燭台切は其処に手を当てた。和泉守は目を疑う。
 ずぶり、燭台切の手が壁にめり込んでいた。まるで水面のように、燭台切の手を中心として波紋が立っている。

「特定の霊力に反応するんだ。今なら入れるよ」

 燭台切は微笑むと、目を丸くする和泉守を先に促した。背中を軽く押されるまま、波紋の立つ壁に足先を付ける。差し込まれたそこからまた揺らぎは広がり、不可思議な壁に触れている足は見た目通り池に入った時と同じような感触で迎え入れられた。
 燭台切とはまだ短い付き合いだが、ここで自分を騙してどうこうするような男ではないだろう。和泉守は水で出来た壁を通り抜けるようなその不思議な感覚に心地の悪さを感じつつも、先へと足を進める。
 和泉守の姿が見えなくなってから、燭台切も慣れた様子で彼に続いた。

「どうだろう、和泉守君」
「……どうも何も。なんだあ、こりゃあ」

 見渡す限り、本。踏み入れた先は、和泉守と彼の助手が2人で使っているのと同じほどの大きさをした部屋で、ありったけの本棚が並べられていたのだった。奥には洋式の机と椅子があって、机の上は随分と散らかっている。有り体に言うなら書斎だ。
 机の方に向かい、そこに置いてあった1冊の本を手に取った燭台切は、背後の和泉守にそれを渡した。一見古書のような、ひどくぼろぼろでページ数の多い本。ずっしりとした重さを手に受ける。
 タイトルに目を遣って、和泉守は僅かに目を見開いた。「新撰組」の文字が入っている。

「中身を大して知りもしないのに、名称だけにつられて守ろうとするだなんて、歴史と、そこに生きた存在に対して失礼だ」

 主の言葉だよ。そう続けた燭台切の声色は得意げな色を秘めきれてはいなかった。そも、秘めようともしていない。
 噛み砕ききれなかった和泉守に怪訝そうな目を向けられても、嬉しそうに笑んだ。自分の主の想いを語る口調は誇らしげに、本棚へと視線を投げかけて、

「僕たちは、刀だから、所有され使われる物だから、持ち主には従う。
 でも。主に本心から仕えたいと思い、使われたいと願い、自らの意思で刀を振るう。それは主の人となりを知り、信頼していった結果だ。
 主という肩書きであるから、彼女を大切にし、守るんじゃない。それは彼女という人間に対して失礼だろう。
 君が、こうして僕に主のことを聞いてきたように。
 彼女が言っているのはそういうこと。知ろうとする相手の規模は余りにも違うけどね」

 燭台切は、彼女の告白を思い出す。3冊の本を胸に抱えて、烏滸がましいけれど守りたい、と泣いた主の背を丸めた姿。困ったように笑う陸奥守と、泣かないでくださいと狼狽える五虎退のことも、よく覚えている。
 その想起を遮ったのは和泉守の声だった。

「……ありったけの過去の人間を、懐に入れようってのか」

 ──それは、あまりにも、傲慢だ。
 そして、重い。
 大切なものは足枷になる。身体を重くする。ただ歩むだけでも泥濘に足を取られてしまうようになる。それを増やそうと言う。進んで荷物を抱えようと言う。
 あの娘にそんな力があるとは思えなかった。歩くことも出来ず底無しの沼へ溺れてしまうだけだろう。そも、どんな人間にだって出来るわけがない。
 なんて、考えなしで、無垢な思考回路。
 和泉守の言葉に、燭台切はなお笑う。

「子供だろう?」

 自分の力量に見合わない願いを抱き、その願いを無謀だと知りつつも意地になって引き寄せ手繰る。そもそも戦場に出るのは彼女ではないし、歴史を知っているかどうかだって、歴史修正主義者を倒すことが出来るか出来ないかには関係がないのに。
 彼女がいくら知識を仕入れたって、彼女が干渉出来るのは出陣前の打ち合わせ程度だ。実際に戦場に出てその場の判断を下すのは隊長の行うところが大きい。いずれは歴史の重要なポイントを探ることで遡行軍が優先して荒らし回る時代を予測することができるかもしれないが、修正の修正が目的である以上自分たちの出陣は常に後手であり、待ち伏せすることができるわけでもない。敵の軍勢の構成が分かるわけでもない。
 つまり彼女のそれは、ただひたすらに、結果に影響を及ぼすことのない努力、意地、不器用。それは自己満足にしかならない。何の実にもならない誠意。忠義。敬意。愛情。

「でも君、嫌いではないんじゃないかな、そういうの」

 燭台切は言う。

「たとえ無意味なことだとしても、いっそ悪辣な結果を残したとしても、何かを信じて歩く人間の行いを、尊くないと君は言い切れるかい」

 ──ああ、そうだ、それがどんな愚行だって、当人なりの信念を貫かんとする人間を、自分は切り捨てられない。それに、あの気弱で緩い主に何かを突き通そうとする力があったとも、見えないところで本人なりの努力があったとも思わなかった。簡単に言えば、少しだけ見直した。
 楽しげな金色はそれを見透かしているようで、和泉守は眉根を寄せる。もともと自分が嗾けたことなのに、燭台切が意図した筋道通りに主への印象を変えさせられてしまったことが、掌の上で転がされているようで気に触った。
 けれど発端は自分だし、うまい憎まれ口も出てこない。だから思ったことをそのまま言ってやるしかなかった。

「……あんた、オレが思ってたより主のこと好きなんだな」

 燭台切は机の上へ視線を落とす。ボロボロになったノートに手を置き、そっと撫でた。彼女自身を労わり撫でる時の手つきと同じ柔らかさで。その伏せられた瞳の奥に熱が燻っているのを、和泉守は見た。
 燭台切の目元がふっと和らぐ。

「ばかな子ほどかわいい、ってやつだよね」

 その笑みを見た和泉守は絶句した。──この男は、ほんとうに、ほんとうに。オレが、思っていたよりも、ずっと。

「甘すぎて砂吐きそうだ」

 愚痴には照れが籠っている。それほどだったのだ、見ているだけで恥ずかしくなってしまうほどに、燭台切という男の目が声が表情が、彼女を愛おしく思うのだと告げていた。
 動揺を隠すように、手に持ったままの本を開く。あちらこちらに付箋が貼ってあったり、ページがボロボロになっていたり、外れそうなページもテープで直してあったりした。古書のようだと思ったが、奥付を見ると発行日は彼女が現世に居た年とそう変わらないようだ。一体どれだけ読んだのだろう。向こうの机には山積みのノートと筆記用具がある。あれには、何が書かれているのだろう。そちらの方へ意識を飛ばせば、燭台切もその流れを汲み取って、あとはもう何も言わなかった。
 そして数分後、部屋を出る時になってようやく「あっ」と思い出したように口を開く。

「そうだ、和泉守君。僕が君にここを教えたことは内密にしておいてくれよ。前の主のことを詮索されるのが嫌な刀剣男士も居るだろうなって、主は気にしてるんだ」
「は? ……おいおい、マジで気弱だなァ……」


 数日後。執務の休憩時間、縁側で涼んでいた名前の隣に和泉守がどかりと座った。彼もまた手合わせの休憩時間らしく、汗を拭った手拭いを肩に掛けている。名前が新しい手拭いを自室から取ってきて渡せば、和泉守は躊躇わずに受け取った。
 その様子を廊下の向こうで見守っていた影がひとつ。燭台切は名前への差し入れが乗ったお盆を持って、ゆっくりと2人の元へ歩み寄った。

「主、和泉守君。どうぞ」
「ああ、ごめん燭台切、ありがとう」
「どーも」

 名前はお盆を受け取ると、ちらりと燭台切を見る。彼は背を向ける前に頷き返した。それを受けて、名前は次に和泉守に目を遣る。
 お盆の上のお握りと漬け物を差し出しながら、名前は口を開いては噤んだ。何かを話したいらしい、というのは和泉守にも見て取れて、けれどいつまで待てば良いのかは判らない。あまり長く待たされるのも嫌で、苛立ち混じりに爪楊枝を沢庵へ突き刺した。

「……沢庵好きなの?」

 名前は言うに事欠いてこれである。話の切り出し方が下手くそだ。
 ばかな子ほどかわいい、とか言ってたけどよ、どう考えたって面倒見なきゃとか世話が焼けるとか支えてやらなきゃとかどころの話じゃねえだろ。
 はあ、と大きく溜息を吐いた和泉守に、名前の肩が跳ねる。彼女がごめん、と言う前に遮ってやった。

「前の主がな。どうせだしあの人の自慢してやらあ!」
「えっ、い、いいの!?」
「おーおー、ったりめえよ。よーく聞けよ!」

彼に見初められた朝焼けの雫

title by トロールとスヌス 160403