09

 少し考えれば分かったはずだった。直江が、私より先に、「友」と再会している可能性ぐらい。
 それについて直江がぽつぽつと話してくれたのは、友と再会したのは中学の頃で、私の予想通り、彼らと思いの丈をぶつけあい、罪悪感や後悔などに完全なケリをつけた、ということだった。
 私に語り終えたあと、直江は笑った。晴れやかな顔だった。
 ──その笑顔を見ていると、みじめな気持ちになる。
 こうなるなら、私は別に傍に居なくても良かったんじゃないか、って。
 私が傍に居たのは、まったくの無駄だったんじゃないか、って。
 後悔ではない。でも、つらくなる。そんな私は、どれだけ穢ければ気が済むのだろう。
 傍に居ることしか出来ない、なんてただの自己陶酔だ。自分はこいつの助けになれると、ほんとうは思っていたんじゃないか。見返りがほしかったんじゃないか。

「どうした、辛気臭い顔をして」
「……いや」

 至極不思議そうに問われて、首を横に振る。
 なんでだろう、かつて私がうんざりしながら友の話を聞いていたのには気付かなかったのに。いや。直江も気付くぐらいの顔をしてしまっていたのだ。自分の顔がさらに歪んでいくのに気付いて、ストローでココアを吸い上げる。溶けた氷で薄められつつあった。
 直江の、探るような目が向けられる。それを無視していれば、執拗に追及されることはなかった。その分、直江は他のことを喋り始める。
 景勝様や慶次殿にも出会っていることとか、警察官の道に進んで、交番勤務員になったばかりなこととか。
 「会えて嬉しい」とか。

「…………うん、私も。あえてうれしい」

 さっきまでは、そう思ってたよ。今は、わからない。
 その言葉を飲み込んで、無理くり唇の端を持ち上げる。気にされている今、また辛気臭い顔をしてしまうのは具合が悪い。直江にこんな顔をする日が来るなんて、思わなかった。

「……名前。私はお前の話も聞きたい」
「私の?」

 直江は、私がそんな風に取り繕っている理由を見つけるための問いを投げかけてくる。別に、生まれ変わってから今までに傷付く出来事があって暗い性格になった、とかではないから、的外れなのに。
 でも、ちょっとだけ、昔みたい、と思った。お前も話せ、って、よく言われてた。

「名前は、私以外の者には会ったか? それと、今は何をしている。学生か?」
「私が会ったのは、政宗と小十郎さん。あと、私は大学1年」
「む、まさかとは思ったがやはり山犬と」

 この土地恋しさに県外から来たという事実は隠して、聞かれたことにだけ返す。政宗の名前を聞いた直江はムッとしていた。死ぬまで仲が悪かったけど、今も気に食わないところがあるらしい。
 答えきったので、水割りになりかけのココアを少しずつ飲む。
 そうしている間にも視線を感じた。納得がいくまで言葉を引き出そうとしている気じゃないよな、とこっそり身構える。
 が、直江は力を抜いてみせた。とりあえずは引き下がってくれたか。ココアを飲み干してしまう。

「名前」

 もうカップに中身が残っていないことを確認していると、名を呼ばれた。目だけをやる。
 ずいぶん、真剣な顔になっていた。

「お前に、言わねばならぬと思っていたことがあった」
「なに、改まって」
「有難う」

 深く、頭を下げられる。それがまた上げられて、再び真面目な顔が目に入るまで、何も言えなかった。
 お前に、感謝される、覚えは。

「名前は、ずっと私の傍に居てくれた。感謝してもしきれん」

 その声には、深さがあった。今にも表面の膜を破って、何かが溢れ出してきそうな。開いて奥を覗いたら、その奥に何かが渦巻いていそうな。
 受け取るのが、とても難しい音だった。聞いてはいけないものだった。私を破壊する音に他ならなかった。
 これ以上、聞かされては。

「違う。違うよ。違う。
 私は、……私は、お前の考えてるような理由で、お前の傍に居たんじゃない。私はいつだって自分本位だ、分かってるだろ」

 それを勘違いされては、私はもうだめになってしまう。
 私はお前みたいに綺麗なやつじゃない。善意でお前の傍に居たんじゃない。穢い私がお前の傍に居ること自体がおかしいのに、綺麗だと勘違いされては、今度こそお前の傍に居られない。

「では、どんな理由だ」
「……言えない……」

 首を横に振る。取り違えられるのも恐ろしいけれど、私のすべてを晒すのも恐ろしかった。カップを持つ両手に力が入る。

「私は、お前のことを思い出さぬ日は無かったぞ、名前」
「……直江は、記憶を美化してるだけだ」
「いいや、記憶の中の私は間違いなく、お前に感謝していた」

 直江は言い切った。
 視界が下へ移る。カップを握り潰さんとする手はがたがたと震えていて、見られるわけにはいかなかった。
 手を引っ込めようとする。阻まれた。伸びてきた直江の両の手が、私のを包み込むようにしていた。ばかみたいに、熱い手だ。

「名前」

 言外に、顔を上げるよう促される。見たくない。ほんとうは、見たくない。でも。これ以上直江を裏切りたくないのも、事実だった。
 息を吸って吐くと頬の筋肉がぴりぴりして、自分の顔が強張っているのが分かる。唇を引き結んで誤魔化すと、言われたとおりに直江を見た。
 彼は、私と違って、まっすぐで、それと正面からかち合う。
 その唇が、ゆっくり開いた。

「私は、お前に懸想していたのだ」

 「──、」空気だけで、声が漏れた。
 どうしようとか、そんなことすら頭から抜けて、ただ、目の前を見ている。
 直江は、直江は、何度か見たことのある顔をしていた。
 細めた目に、きらめく瞳を座らせた、やわらかな、春を思わせる微笑み。

「……驚かせたか?」
「お、……どろ、くに、きまって」
「はは、そうだな! そんな顔をしている!」

 なぜ笑う。なぜ笑える。なぜ。
 懸想、って。お前は。なぜ、そんなことを、どうして、いま、なに、を、かんがえて、なんで。
 なんで、私に。

「知ってほしかった。
 心から想う者に、辛いとき傍に居てもらえたことが、義を失った情けない姿を見せても離れずに居てもらえたことが、私を救ってくれたのだと。
 その事実は、お前がどう思っていようと変わらぬ」

 喉の奥に空気が詰まって、息が出来ない。
 口の中のなにかを飲み込む音が、耳に響く。人のたくさん居る場所なのに、まるでふたりきりの部屋のようだった。
 直江の手が、私の両手をぎゅっと握り直す。
 彼のまばたきの、目を閉じる時間は、一度だけ、すこし長くとられていた。その瞳が再びあらわれる。今しがた瞼に覆い隠されたそれの、あのきらきら輝くのは、未だ続いていた。もっと、強くなっていた。

「そして、私の愛は不滅だ、とも」

 ──それは、どういう。
 私がなんにも口に出来ないのに、直江はぺらぺらと喋る。

「名前も、今なお私を憎からず思ってくれている。そう考えて良いのだろう?
 なにせ、またこの地に来てくれたのだからな」

 「な、ど……」また、声にならない声が出た。

「どうして外から来たと分かったか、だと? 
 あれだけきょろきょろするのは、おのぼりさんか、その逆ぐらいだろう」

 ははは、とけたたましく笑い声が上がる。そのあとも、図星だな、とにやにやされた。
 明らかにからかわれているはずなのに、笑う彼の瞳の奥からは、あのあたたかさが消えてくれない。
 思考回路が、焼かれてしまう。見ないでほしい、と思う。
 そのくせ、目を逸らせなかった。彼がついに視線を横にやったときには、どうして、と思った。

「……ううむ、もっと見つめ合っていたかったのだが。混んできた。そろそろ出ねばならんな」

 言われた瞬間、私の視界に次々と他の人間が現れた。今まで聞こえなかった、自分と直江以外の騒ぐ声が、耳に入ってくる。
 直江の両手は最後に私の手の甲をするりとさすって、離れていった。惜しい。自然とその手を目で追った。すっかり冷めたモカを持ち上げ、直江はそれを煽る。彼は文字通りあっという間にふたり分のトレイとカップをまとめて、立ち上がった。つられるように、私も。返却を済ませる直江の後ろをよろけながら着いて行き、店から出る。
 車の走る音、人々の喧騒。
 その中で、隣の直江がふっと笑うのは、はっきり聞こえた。
 片手をとられる。握られた。思わずそれを見、次に直江を見た。彼はおかしそうにしながら、

「送って行く」
「い、いい」
「安心しろ、家を知ったところで別に義にもとる真似はせぬ」
「そ……」
「おっと、これはしたり。連絡先を交換してもらわねば。電話とアドレス、あ、LINEはやっているか?」
「……」

 押しが強い。手について話すことも、繋ぐのをやめることもする気は無いらしく、直江はすらすら言葉を続けた。
 もうどうしようもない。言われるままにスマホを出して電話帳を開くと、ぐいっと画面を覗かれた。肩が跳ねる。心臓も跳ねる。近い。直江じゃなかったら殴ってた。
 昔からパーソナルスペースが狭いやつだよな、と思いつつ、直江が地道に文字を打ち込んで私の連絡先を登録していくのをじっと見る。直江はガラケーのイメージだったけれど、スマホだった。LINEって言ってたもんな。そっちもQRコードで交換する。「『新しい友達』ではないのだがな」と、直江が不満げに呟いた。

「旧くからの、想い人なのだが」

 私は、何も言わなかった。
 ただ、直江に腕を引かれてせっつかれ、帰る方向はこっちだと教えた。途中で別れようとしても首を横に振られて、ほんとうに家まで送られることになった。直江じゃなかったら、ほんとうに、どうしてやっただろうか。
 マンションの前に着くと、直江はおお、と感嘆してそれを見上げた。だけれどあまりじろじろ見ることはせず、すぐに視線を下す。
 見る先は、繋いだ手だった。夕日に照らされた直江の顔は、すこしだけ寂しそうで、息を吸うのが浅くなる。
 その繋いだのが解かれるというときに、半ば反射で引き留めた。ぎゅっと遠慮なく握ってしまって、骨の感触が指の腹に伝わる。

「あの、なおえ」
「どうした」

 不意を打たれた様子で、直江が此方に目をやった。
 それを、私は、見つめ返す。不自然だった呼吸を、意識して深くした。
 溜まった唾液を飲み干して、もう一度大きく息を吸う。

「ただいま」

 ぱち、ぱち、直江が目を瞬かせる。
 拍動の音が、身体のなかでうるさく響いていた。
 すっかり驚いていた直江は、やがて。
 心底嬉しそうな、笑顔になった。「おかえり」
 心臓がとうとう破裂しそうにうるさくなって、直江のその顔に、花が咲くようだ、と、男に使うにはとうてい不似合いなことを思った。でも、たしか、桜のつぼみが綻ぶのは、こういう風だった。
 「また会おうな!」とすっかり元気になった直江を見送る。そのあと、ずっと立ち尽くしていた。
 ──私は、なんなんだろう。
 あれだけ穢いとかなんとか思ってたのに、でも、なおえは、好きだから嬉しかった、って言ってて。じゃあ、こんな私でもまた傍に居ても良いのかな、とか、いや、直江はやっぱり思い出を美化しているだけだ、とか、直江がどう思ってたって私が穢いのには変わりない、とか、いろいろがぐるぐる回って、遠心力で脳の裏にへばりついている。
 ──私は、どうしたら良いんだろう。

落日に君は何を悔いるのか

title by afaik 170624