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 呆けた様子の「友人」が、その目に失望を浮かべた時、己が誤ったのだと知った。
 昼休みの屋上。
 仁王の髪を激しく靡かせる風は、ふたりで過ごした思い出すら吹き飛ばすようだった。

「……ごめんね」
「あー、構わんぜよ。心にも無い謝罪、まーくん泣いちゃいそうじゃ」
「あは、そっかあ」

 自分の悲哀を誤魔化す仁王にすら、諦めたように笑った友人──名字名前の、まさにその笑い方に、仁王は数分前の自分を呪う。
 さまざまに諦念を宿していた名前は、自分の前でだけ、気を抜いて肩を揺らしていたのに。きっと、絶対に、もう二度と、あの光景は訪れない。そう、確信してしまえた。
 ──かつて、屋上へサボりに来た仁王は、先客の名前と出会うこととなった。同学年のようだが、顔は見慣れぬもので、ああそういえば今学期から転入生が入ってきたのだった、と思い至った。それも、仁王と同じクラスに。
 二年生になって、という珍しい時期の転入生に、周囲はざわついていた。「(コート上の)詐欺師」たる仁王はあえて反対に、興味が無い風でいた。あるいは、本当に興味が無かった。
 仁王と同じクラスの丸井や、立海の生徒のデータを集めている柳は、積極的に話しかけていたと思う。特に後者など、休み時間にわざわざクラスまで来て、あれやこれやと質問を重ねていた。丸井でさえ、円滑な人間関係のために接していた程度だったというのに。
 クラスの、更には学年の、注目の的。
 そんな名前が屋上でサボる理由。
 観察眼のある仁王には見当がついてしまった。
 好奇の視線とは、存外窮屈なものなのだ。更に言えば、好奇心はときに、人間を人間として扱わぬ行為と入り混じる。全国大会常連の部活でレギュラー候補に選ばれ、容姿端麗で、常にトリッキーな行動と言動をする仁王にも、いくらか覚えがあった。
 サボり場所で、他の生徒と遭遇することは、実のところ珍しい。この学校は大学附属であるからして、通う生徒の水準もそれなりに高いのだ。
 仁王は、名前のことをどう定義づけるか考えた。一人きりの休息を妨げる邪魔者か、サボり仲間か。そしてあまり悩むことなく、後者を選んだ。
 名前も同じであったようで、その日、屋上からは、いつもより多いシャボン玉が飛び立った。二本のストローから生み出された球体の数々が共に空へ浮かぶのは、それなりに壮観だった。
 サボりの日は意外と重なるもので、屋上で会うごとに、名前と仁王の仲は深まった。同じクラスではあったけれど、教室内や廊下、その他、いつもの屋上以外の場所では接点を持たなかった。屋上で会う時だけ、名前と仁王は「友人」だった。お互い、秘密の共有を楽しんでいたし、それぞれに注目度の高いふたりがいつの間にか仲良くなっていれば、周囲が騒ぎ立てるのも想像に易かった。
 あるとき、名前は言った。

「仁王君の嘘つきなところ、居心地が良いな」
「ほう? 面白いことを言うのう、どうしてじゃ」

 ふうっ、とシャボン液のついたストローを吹く名前に、仁王は問いかけた。自分の「詐欺師」と異名を与えられるような生き方を「居心地が良い」などと評されるのは、単純に不思議だった。一般的に好まれるのは、誠実な人間というやつだ。身近なところで言うなら、ジャッカルのような。
 名前は小さなシャボン玉をたくさんに作って勢い良く飛ばしてから、口を離した。

「仁王君の言うことは、嘘ばっかりだから。
 自分は本音で喋ってますよって態度のくせに本音を隠して喋るような人たちより、最初っから嘘ついてるの前提ですって態度の仁王君の方が、よっぽど楽だよ」
「……プリッ。俺の言うことが薄っぺらいって言いたいんじゃな。そうかそうか、おまんはそういう奴だったんじゃな」
「そういうとこ」

 名前が笑う。くすくす、楽しげに身体をふるわせる。
 仁王は少しばかり気恥ずかしかった。同時に、名前のある種の繊細さと誠実さを、好ましいものとして拾い上げていた。
 嘘が面倒だから、嘘つきが好き。本音が欲しいから、下手な嘘が嫌い。その感覚もまた、仁王にはぴんときた。
 上っ面の笑顔と言葉の裏にある、他人の本音を探りながら、「うまいこと」他者と関わる。
 自由人である仁王にとって、それは煩わしいことのひとつだった。

「……友人なんて面倒だと思ってたけど。
 仁王君だったら、私の理想の友人かも」
「そりゃあまた、評価してもらえるもんじゃのう」

 ──俺は、もうとっくにおまんを「友人」だと思っちょったよ。
 内心は声に出さなかった。その言葉が、自分に望まれているものではないと理解していた。名前は、仁王の嘘やどっちつかずを心地良いと言ったのだから。
 そして、それを理解した上で、理解した通り、口に出さないこともまた、名前の求める「友人」像ではないとも。
 残酷だ。
 本音を隠す下手な嘘が嫌いな名前に、本音を隠した上手な嘘をつく。薄っぺらな言葉を装う。本心を見抜くつもりなく、気ままなふりをする。
 けれど、確かな優越感も存在した。
 この屋上での時間の積み重ね。自分は誰よりも、「名字名前」という人間を識っている、という。
 ──それが「恋情」に変わるのは、そう遅い話ではなかった。
 己で「友人」という名前を隠しておきながら、見えないところでこっそりとそのラベルを変えてしまうのは、自分でも愚かしいと感じた。けれど、自然なことであるとも思えた。自分は男で、名前は女だ。男女が友人になり、仲を深めていった先として、順当ではないだろうか、と。人付き合いが苦手な名前でも、自分ならば深い仲になることも、と望んでもいた。
 だから、今さっき、仁王は伝えた。
 結果、全てを壊してしまった。

「……良い『友人』だと思っていたのに」
「……俺も、それには同意するぜよ」
「なんで、『友人』のままじゃダメだったの」
「……男女の仲っちゅうのは嫌いか」
「嫌いっていうか、わかんない。男女だからって、『友人』のままでいられないなんて、そんなこと」
「例えばでええ。俺と名前がそういう風になってるのを想像してみんしゃい。……どうじゃ。ダメか」
「…………」

 名前は、首を横に振った。俯き加減で、表情は窺えない。ただ、失望は過ぎ去って、今度は悲哀に満ち満ちているのだろうと、声色から感じられた。

「……はじめて、『友人』だと思いたい人ができたのに」
「俺にとっては、はじめて『恋人』になりたい人だったナリ」

 ぽたり、屋上のコンクリートに滴が落ちた。シャボン玉が強風に負けたり空気中のゴミに負けたりして破けるときの軽やかさとは正反対、重くて面白みの無い、ただの硬い面への衝突だった。

「なんで、うそついてくれなかったの」

 以降、屋上から飛び立つシャボン玉の群れはまばらでスカスカなまま、他の群れと合流することがなくなった。



220916 約30の嘘