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 ──その表情を見たとき、「別れよう」と思った。
 私の恋人たるゼゼ君の、壇上での様子。位階が上がることを告げられた、彼の顔にうかんだもの。
 歳相応の少年みたいな、驚愕と、歓喜と、それに伴う頬の赤さ。恥ずかしさ故に誰にねだりもしなかったはずのプレゼントを、突然、的確に当てられ与えられた子供みたいな。あどけなさの覗くそれ。
 ゼゼ君の「付き合ってください」という言葉に応じて数年、私は、彼のあんな顔を見たことがなかった。
 当然と言えば、当然だ。
 だって、私は、ゼゼ君のことが好きだというわけではなかった。「顔の良い子だな、優秀だな、きっと頑張ってきたんだろうな、すごいな」。それだけしか持っていなくて、今の今までだって、そうだった。
 特別に好きというわけではなかったけれど、好感は抱いていて、嫌ってもいなかった。そんな相手から告白されたのは驚いた。心当たりがないから。でも、別に断る理由も無いかな、と私は頷いた。
 ゼゼ君も、私がゼゼ君に向ける感情のことは解っていたらしく、いわゆる「こいびとらしい」ことはほとんどしてこなかった。せいぜい、認識阻害グラスをかけながらのデートで手を繋ぐぐらい。抱き合ったり、キスをしたりなんて、もってのほかだった。
 愛の囁きだって、ゼゼ君からのものしかなかった。私はやっぱり、ゼゼ君にそういう意味での好意は無くて、普段から思っている賞賛の言葉をかけるだけだった。たったそんなことで、ゼゼ君は普段通り得意げに笑うものだから、少食なわけでもあるまいに、と不思議に思うのだった。
 ゼゼ君の名前を伏せて、友人に「こいびととこういう付き合い方をしてる」と話してみたところ、「そんなんじゃ捨てられるよ」と言われたことがある。捨てられるも何も、私から彼への感情はそんなものじゃない──なかったのだが。
 大体、お付き合いって、そういう義務が生じるものなんだろうか。もしそれなら、明文化されてるんだろうか。
 そうじゃないんだったら、好き合っての関係を築いていたのだとしても、捨てられたって構わない。だって、その程度の感情だったってことだろう。なりふり構わず懇願するでもなく、相手のためなら我慢するのでもなく。傲慢だろうか。でも、私たちは悪魔なんだから。「欲」の扱い方は、大事だ。長く共に過ごしたくても、相手との価値観が合わなければ、どうせすぐ破綻するに違いない。
 とはいえ、今目の前で起きていることを考えると、ちょっとばかり、思うところがある。全然理屈として筋は通らないけど、何をしてでも何かすれば良かった、みたいな。過去の私はそんなつもりも一切無いけれど。
 ──ゼゼ君は自信家で、かっこつけだ。私の前でも、ずっとそうだった。扇子を手に、いつも得意満面に笑っていた。
 でも、さっきは違った。あの笑顔が剥がれて(という表現が適切なのか、私には判断できないが)、剥き出しの(省略)少年の顔が、そこにあった。
 なので、よし、別れよう、と決意した。
 多分、私は、この数分前のたったの一瞬で、ゼゼ君に「惚れた」んだと思う。そういう意味で、「好き」になったんだと思う。
 だけど、一方で、あの表情が私に向けられるのは、なんだか違う気がした。
 仮定と想像上の話だけれど、この先もゼゼ君と「こいびと」を続けたら、ゼゼ君のあの表情が、私に向けられることがあるかもしれない。時間を重ねるとは、機会を増やすことだ。ゼゼ君は私のことを好きだから、私がゼゼ君を好きになったなんて変化があったなら、尚更。
 ──それが、しっくりこない。
 率直に言って、そうだった。今までの関係性から根を張った印象もあるのかもしれない。ゼゼ君のあの表情が自分に向けられるのを想像すると、嫌というわけではないけれども、あの表情はあの表情で好きだけれども、どうにもあるべきところではない気がした。
 ゼゼ君と私が、もっと深いところまでお付き合いをできていたら、違ったのかもしれない。私がゼゼ君との深い仲を望んでいないのにも関わらず、ゼゼ君が私を欲しがるあまり、格好をつけず、歓喜してしまうところを見せてしまっちゃっていたなら。
 まあ、結局はたらればの話だ。

「別れよう、ゼゼ君」
「──エ゛ッ」

 というわけで、伝えてみた。ゼゼ君は血を吐いて倒れた。ゼパル家のゼゼ君にとって、酷な言葉だとは判っているのだけれど、適切な表現がこれしかなかった。辛うじて意識は保てているらしい。良かった。
 震えながら身を起こし、片膝をついたゼゼ君は、動揺を顔に浮かべてこちらを見上げていた。傅くみたいな姿勢が、美形も相まってサマになる。「何か、気に障ることでも」「いや、そういうわけじゃないんだけど」むしろ逆。

「で、では、ど、どうして」
「……うーん…………」
「おれ、俺は、あなた、あなたになら、──おれは……どんなことでも……」

 訴えるゼゼ君に、私は、彼を見下ろしながら腕を組んだ。
 ──予想外だったのだ。
 ゼゼ君が、ひどく狼狽える様子を見せていたから。
 そして、それは、それこそ、私に向けられたらへんな感じがするんじゃないかと考えていた表情と、同じカテゴリにあるものだった。「歳相応の少年の顔」。
 だけれど、あの歓喜のものとは違って、こちらはいやじゃない。
 これは、間違い無く。
 私を求めるあまり、見せてしまった姿だから。
 口元が歪んでしまうのを堪える。ゼゼ君は小さく息をして、どうにかこうにか立ち上がった。そして、私に手を伸ばし、かけて、躊躇い、降ろした。その、もどかしげな仕草。
 ──やっぱり。これは。
 ううん、首を傾げる。
 ゼゼ君は混乱の最中にあり、こちらも驚愕の最中にある。
 縋ってくるゼゼ君が、こんなにかわいいなんて。
 先程「好き」になった彼が、いっそう愛しく思えた。
 ただし、問題は、この後どうするか。
 ゼゼ君を狼狽えさせ続けては、しばらく学校生活にまで支障を出しそうだ。それは、私が嫌だ。こんなゼゼ君、私以外に見せたくはない。かっこつけのゼゼ君だって好き。
 つかず離れず、ゼゼ君が私に手を伸ばしてもギリギリ届かない位置でのらりくらりするのも、いまいち。これは、常食するようなものじゃない。あくまでスパイスとして、たまに見るぐらいが特別っぽくて、丁度良い。
 となると、もういっそ、全部ぶちまけてしまってもいいかもしれない。ゼゼ君の混乱の解消も兼ねて。話し終わってしまったら、少なくとも今、この憔悴した表情はなりを顰めてしまうかもしらないと思うと、とても惜しいけれど。
 でも、ゼゼ君には知る権利もあるだろうし。私がこんな奴だったなんて知った上で、好きできてくれるかっていうのもあるし。
 ひとまず、別れ話のきっかけだけを話してみる。壇上での様子に感じたことを。

「────みたいなことなんだけど、どう? ゼゼ君」
「……少し、整理させてください……」

 聞き終えたゼゼ君は、頭の痛そうにしていた。私がゼゼ君に惚れたらしいというくだりでは、やっぱり、一瞬「あの表情」に近しいものが浮かべられた。うーん。まあ、次の瞬間には「わけがわからない」の顔にチェンジしていたけれど。
 発した言葉通り、頭を回転させているのか、ゼゼ君は考え込む。私はそれをじいっと見つめながら、なんとなく、ゼゼ君が前よりきらきらして見えるな、と思うのだった。元々真っ赤な服装をしているし、顔立ちも華美であるけれど、その鮮やかさがもっと上がっているような。「好き」とはこういうことなのだろうか。

「……名前さん」
「うん。何、ゼゼ君」

 そうこうしているうちに、ゼゼ君は考えをまとめたらしい。名を呼ばれたので聞き返すと、ゼゼ君は視線でこちらを射抜いた。ほんの少し瞳が揺れているのを除けば、よく知った、きりっとした目付きだった。

「その、まず……。
 名前さんにとって、俺の、壇上での表情は、──『特別』だった、ということでしょうか」
「ん?」

 言われて、頭の中でその言葉を反芻する。数秒もしないうちに、上手に噛み砕けた。

「そうだね。『特別』なものだなって思った。
 ゼゼ君が今まで頑張ってたんだなっていうのが、位階として認められた瞬間だっただろうから」
「では、つまり」

 ゼゼ君は、一度だけ瞳を横に向けてから、また戻す。

「今後、俺が名前さんにその『特別』を安売りするかもしれないのが、名前さんは嫌だった?」
「……ん、そうだね!」

 ぽん、と手を打った。ゼゼ君はほんとうに頭が良い。私から経緯を聞いただけで、私の感情を解析して、言語化してみせた。
 私はゼゼ君のあの表情が好きだけれど、自分に向けてほしくはなかった。
 だってあれは、ゼゼ君が頑張ってきたのが叶った印だから。
 私に向けられるべきものじゃないから。
 ──私に縋る姿だって、たまに見るのがちょうど良いぐらいなんだから。
 思考する私の前で、ゼゼ君は口端を引きつらせた。扇ですぐに隠したけれど。

「──俺が、あなたに、ああいう表情を見せるかもしれない、と。あなたが俺を好きになってくれたのもあって、より、喜んでしまうかもしれないと。
 そのくらい、俺があなたを好きだと、知っているのに。いや、知っているからこそ。あなたは……」

 めちゃくちゃだ。ゼゼ君はそう溢した。
 確かに、「好きになっちゃったから別れてください」は、あんまり聞かない別れ話の持ちかけ方かもしれない。私はおかしな思考をしているのだろう。
 ゼゼ君は眉を顰めている。それでも、「勝手すぎて付き合いきれない、別れましょう」とは言わない。

「……名前さんは、俺が、今まで通り、全知全能のゼゼとして振る舞うなら、お付き合いを続けてくれますか」
「うーん、まあ。そうかも。なんかの拍子でああいう顔することはあるかもなあ、と思いはするけど。
 でも」
「でも?」

 ゼゼ君が素早く食いついてくる。
 私は、先程話さなかった後半を口にした。

「あの顔で、歳相応だなって思ったし、『特別』な顔だから、私に向けられるのは違うかなってなったけど。
 今みたいに縋ってくるゼゼ君なら、歳相応ぽいけど、全然いやじゃないよ。
 かわいくて大好き」
「………………」

 私はここで初めて、「好き」と言った。先程説明したときは、「惚れたのかもしれない」と表現した程度で、ゼゼ君に真正面から「好き」を言ったわけじゃなかったのだ。
 そのせいか、ゼゼ君は、扇の向こうで口をもごもごさせている。直接口元が見えるわけではないけれど、表情筋が動くから、間接的に分かる。咀嚼のような、何か口籠るみたいな動きを終えて、ふう、とゼゼ君は息を漏らす。恍惚、諦念、どちらにも感じる吐息だった。染まった頬は、恍惚のみと見えるけれど。
 扇を閉じて、「う」の形だった口を、ゼゼ君が動かす。

「とんでもない方だ」
「そうかも。私も、自分がこういう悪魔だって知らなかった。ゼゼ君が教えてくれたね、ありがとう」
「……あなたは昔から、そういうことはてらいなく口にする」
「嫌だった?」
「まさか」

 ゼゼ君は首を横に振った。その動作で自然と俯き加減になった彼は、

「俺がみっともなく追いすがれば、好ましく思ってくださいますか」

 問いかけ。答えはすぐに出た。

「うん。かわいいな、好きだなって思うよ」
「………………喜びと違って、あなたに関わる出来事に結びついているから、……あなたへの『特別』な行為として認識されてしまったから…………」

 ぼそぼそ言うゼゼ君は、なんだか悔しそうだった。段々、「もっとポーカーフェイスを磨いていれば、いや、好いてもらえたきっかけは、ああでも、タイミングが違えば……」などと小さな言葉が右往左往し始める。悔やむことはないのに。
 額に手を当てるゼゼ君の顔を、私は覗きこんだ。

「私、嬉しかったよ。
 ゼゼ君が努力してるのが認められたんだもん。側で全部見てたわけじゃないから、ゼゼ君の努力全部を知ってるとか、偉そうなこと言えないけど。
 普段のゼゼ君を見てて、見てないところでも頑張ってるんだろうなって思ったから」
「~~~~ッあなたの、そういう……!!」

 絞り出すような、吐き出すような声だった。余裕を失ったゼゼ君は、案の定、かわいい。なんでそんな声色をするのかはわからないけれど、──なんで私を強く強く抱き締めたのかもわからないけれど、私を離すまいとするゼゼ君が、いとけなくて愛おしい。

「…………名前さん」
「うん」
「俺の、……俺の側に、どうか、居てくださいませんか。側に、できるだけ近くに。
 恋仲でもなくて良い、などと殊勝なこと、俺は言えません。あなたと別れたくない。あなたがいい。どうしても、名前さんがいいんです。
 ──だから、どうか、おれと、わかれようだなんて、いわないでください……」

 言葉も、覆いかぶさるように抱き締めてくる身体の全体も、かわいそうに震えていた。声なんか、涙まじりなんじゃないかってぐらいだ。
 ──うーん、かわいい。合格点。花丸。
 そして、私の頭によぎったのは、傲慢な感想だった。
 ゼゼ君の背に手を回して、「いいよ」と答えた私は、ゼゼ君が言った通り、とんでもない奴なんだろう。今後は「別れよう」とは言わないだろうけれど、今日の出来事をこの先何度も思い返すことになるのだろう。あるいは、また別のやり方で、ゼゼ君に縋らせようとするだろう。
 それでも、仕方の無いことだ。
 ゼゼ君が、こんなにかわいく、歳相応の、私のためだけの特別な駄々を捏ねてくれるのだから。



220923 約30の嘘