007
光というのは、求められなければ与えられない。日陰で羨むのではなく、そこから自分の足を踏み出さなければ、己が身に浴びることはできない。
では、その日陰が足を飲み込む沼地にあった場合は?
「そこに居るのは名前か? 一体どうした、そんなところで」
「──趙雲殿」
「体調でも悪いのか。薬師のところまで」
「いいえ、体調が悪いわけでは、
ただ、なんとなくこうしていただけです」
──陽光を振り撒く人を、嘘偽りで釣り上げる。
私にできる、光へ触れる手段とは、たったそれだけのことだった。私を気遣い、大丈夫なら良いのだが、と眉を下げる彼に抱く後ろめたさはあれど、地位と武勲以外に持つものの無い私には、これしか無いのだと言い訳をした。
何より、光を持つ人は、沼地にあるものをこそ引き上げてくださるのだから。
趙雲殿が家を出たとき、存外目に入りやすい路地。彼に連れられて暗がりから出ると、趙雲殿はいっそう眩しく見えた。身に纏う平服の糸の煌めきではなく、ただ、あるべきところにあるからこそのものだった。
「これも何かの縁だ。今日、用事はあるか? それと、腹は空いていないか」
「いいえ、少しばかり、暇を持て余しておりまして。ご飯は──そうですね、そろそろお腹も空いてきたかもしれません」
「では、共にどうだ。良い料理屋があるのだが」
「ありがとうございます。私でよければ、喜んでお供します」
休日が重なったことの喜びを噛み締める。同時に、彼の優しさを危惧して──己が言う筋合いはあるまい、と振り捨てた。
趙雲殿の隣を歩く。と、世界が一変する。天が喜んでおられるかのように全てが輝く。
──これが、持つ人だけ持つ力だ。
私だけが知っていることを、胸の内で揺蕩わせる。
私のような、戦しか取り柄のない凡人に、天が何を思って、この知識を授けたのかはわからない。しかし、あの日、私は気付いてしまった。
趙雲殿に声をかけられると、趙雲様にお誉めいただけると、趙雲殿に笑いかけられると、趙雲殿に──何をされようと、世界が喜びに震え、華やぐことを。
おそらく、間違いなく、天の祝福だった。私のような、暗雲に囚われた不出来な存在に趙雲殿がその光を見せるたび、天は自らのつかわしたものがそのようにあることを喜ぶのだ。
今なら、これまでの日々に感謝ができる。
劉備殿と出会うまで、私の武の才が見出されるまでの苦楽はすべて、あの日、いつものように沼地で足をとられていた私に趙雲殿が手を差し伸べてくださった、その瞬間のためにあったのだと。
私が浸かる沼地は、光ある人が、その光ある様をより顕すためだったとは、思いもよらなかった。
ものをほとんど持たぬことを、喜ばしく思える日がくるとは。
天のお考えはわからぬものだと思いながら、趙雲殿に笑いかける。すると、すぐに微笑みが返ってきた。そのわずかな口元の緩みは、やはり目を焼くほどで。
ああ、今日も趙雲殿は眩しい御方だ。