18
検非違使、という新しい敵の出現が確認された。
審神者は皆、政府から電報を貰い、各々対策を迫られている。
彼らの強さを確かめようと出陣させた刀剣男士たちが大怪我を負ったという話も上がってきていた。
「名前」
「……、うん」
光忠に名を呼ばれて頭を撫でられる。それだけで息苦しいぐらいの重圧から少し解放されて、同時にもっと考えないと、という気持ちになった。皆のためにも、原点である私がまずしっかりするべきだ。近侍である光忠も傍で一緒に考えてくれている。頑張らないと。
突然現れた第三勢力の存在に動揺は隠せない。そんじょそこらの遡行軍よりもずっと強いという話だ、うちの皆の力を信じていないわけじゃないけれど、敗北は皆の負傷を、最悪破壊を意味する。怯えずにいられようか。勝利を求めるなら、皆を傷付けたくないなら、いつだって第一に敵の力を信頼するべきである。
私の不安を一番に汲み取ってくれるのは光忠だ。政府から通達された検非違使についての書類へ共に目を通しながら、時折心配そうにこちらを覗き込んでくれる。優しいひと。
「こんのすけから検非違使の気配を告げられたら、退却してもらう。もう少し情報が集まってからの方が指示を出しやすいから」
つっかえぬようになんとか発した声は、自分が思っていたより格好悪かった。顎ががくがく震えて、不安定な口から吐き出されたそれはひどく掠れたもの。情けない。胸のあたりがぎゅうっと握られたように苦しくなった。光忠の金色が揺れる。
よしよし、と子供相手の宥め方をされた。体をそっと抱き寄せてくれた腕と髪を梳くように撫でてくれる指先が、布と皮越しなのにあたたかい。だいじょうぶ、だいじょうぶ、いいこだね、囁くような声色は柔らかで、こんな精神状態でなかったら子守唄の代わりにだってなりそうだった。
甘やかされている。助けられている。
であればそれに見合う私でいなければならない。
こんなんじゃいけない。もっと、もっと。
「ねえ、あんまり気負いすぎないでくれよ」
「ううん、大丈夫。これくらい普通。光忠も居てくれてるんだから」
「僕も居るからって言ってくれるのは嬉しいんだけど、名前、肝心なところは抱え込んでしまうから」
そりゃあ、私だってやる時にはやらないと釣り合いがとれないし。
彼の顔を見ることがないよう俯きながら、腕から抜け出そうとする。このあたたかい場所に居てはいけない。彼の優しい目に足を止めてはいけない。きっと彼に縋ろうとしてしまう。私は弱いから。
だというのに、光忠は私に逃げることを許さない。さっきよりも腕に強い力が込められた。最後の抵抗に、せめて彼の目は絶対に見上げない。
「いつものように頼ってもらいたいんだ。むしろ、ここぞという時ほど頼るべきじゃないのかい?」
「……確かに、難しい物事を1人でやって失敗したら、本末転倒なのは認める」
「うーん、それもそうなんだけど。君、あまり強くないから。難しいことを1人で抱え込んだら、疲れ果ててしまうだろう?」
強くないと、言われてしまった。本当のことだから悔しくも悲しくもない。清々しいくらいだ。でも、痛いところを突かれている。申し訳ない。
「ごめん、ごめんね、もし私が倒れでもしたら」
「迷惑をかける、じゃないよ。心配をかける、だ。
僕も、苦しむ君を見るのは辛い。逆に君に頼ってもらうのは何だって嬉しいし、それで力になれたなら、君が笑ってくれたなら、僕はその方がずっと良い」
遮って発せられた言葉が、あまりにも優しくて、私に都合が良すぎて、いっそ消えてしまいたくなった。私はそこまで言ってもらえるほどの人間じゃないのに。
皆が私を主だと思ってくれているのは嬉しいし、私は皆の信頼を信頼している。だけれど、それ以上に私自身を信頼できなくて、計算結果皆の主としての自信値はマイナスだ。審神者になってから大分年月が過ぎてもこうだし、自信を持てるような自分になれればいいのに結局なれていないのだから私は口先だけだし。
考えれば考えるほど駄目人間で、もはや笑いさえこみ上げてくる。
「ばかな子だなあ」
あの時と同じ言葉が降って来た。
ばかだなんて字面だけ、その声色はやさしくて、春日の雲のいっとうやわらかいところを音にしたみたいだ、と腑抜けた頭で考える。
「前にも言っただろう。君は格好悪い子だけど、それ以上に大事だって。僕だけは絶対君の傍を離れないと断言出来るって」
あの夜の話だった。
流れ星みたいにきらきらした言葉が私の頭に落ちて、髪に引っ掛かる。
私にとってとてもとても大事な出来事だったから、彼も鮮明に覚えてくれていることがこんな状況ながら嬉しかった。もしかして、もっと嬉しいことを言ってくれるんじゃないか、と馬鹿な期待が湧いてしまう。その甘えに自制を掛けようと試みた。
そんな私に光忠が、今から意地悪を言うね、と囁く。
「僕は君を嫌ったりしないよ」
止まった。
背中をぽんぽん擦られ、「呼吸出来る?」と言われたあたりで、思考も動きも止まっていたのだと気付く。トチ狂った頭が今更平静を装おうとして無理に呼吸を奨励した。案の定噎せて、大丈夫かい、と背を撫でられる。
大丈夫じゃ、ない。
嫌われたくない、なんて、そう、私は。皆の怪我は確かに怖くて、痛い思いをさせたくなくて、だけどそれは皆が居なくなるのが怖いということでもあって、もし折れなかったとしても、折れないで居てくれたとしても、怪我をさせた能無しな私を嫌いになってしまっていたら、それは居なくなっているのと同じで、だから怖くて。こんなくだらない欲求、我儘、自業自得、悪あがき、なんで、気付いたの。
光忠はどうして、隠していることを次々見つけられるの。蓋をして鍵を掛けたって、押入れの奥に引きこもったって、海底に沈んで過去の遺物に紛れたって、彼の目にかかれば意味などないなんて。
まさかその金色に特別な力があるのかと疑う。
つい見上げた先にはただ、あたたかな蝋燭の灯が灯っていた。
「そういうばかなところも含めて、僕は君の全部が好きなんだ」
よかった、今ならもう好きだって言える。この前は君が大事なんだとしか言えなかったから。
そう続けて、光忠は微笑む。細めた蜜色の目に私を真っ直ぐ映して。
私は。
「……ん、よしよし。沢山泣いてね」
とうとう、醜態を晒した。
彼の腕で作られたやさしいせかいに甘えないでいるなんて、私には無理だった。
ぼろぼろ零れる涙で顔をぐちゃぐちゃにして、べちゃべちゃに泣きじゃくる。気道が悲鳴をあげた。悲鳴に合わせて跳ねる背を、光忠の手がゆっくり摩る。もう片方の手は私の頭を撫で続けていて、そのあたたかさにもっと涙が止まらなくなった。
つっかえながら口にする。
「どうして」
言ってから、またあの夜と同じことを聞いている、と思った。
光忠はくすくす笑う。本当によく笑うひとだ。そうやって笑みを見せるから、私は彼に受け入れてもらえているのだという気持ちになってしまう。もう恨めしくさえ思った。
「残念、僕は趣味が悪いんだ」
ほら、そうやってあなたは私の弱さを肯定する。
人を罵るようなことを言わない彼が、私をあえて貶める。優しさに満ち満ちた声色で罵る。そのひどい言葉こそが、私にとってやさしい言葉だった。
私の感じていた重圧を取り払うには、十二分にすぎる。新しい敵への恐怖どころか、私が今まで積み重ねてきた不安すべてを取り払ってしまうような。
「観念してくれた?」
「……うん」
白旗を振る代わりに頷いて答えた。光忠の小さな笑いが耳にとまる。彼は私を片腕で抱き寄せたまま、手を伸ばして机からティッシュを数枚渡してくれた。ないお言葉に甘えて顔をすっきりさせる。
腫れているだろう重い目で光忠の顔を見直すと、満足気な笑みのまま彼は口を開いた。
「じゃあ、今日からは一緒に寝ようか」
「えっ」
何が、じゃあ、だ。
一緒に寝るって、一緒に? 寝る?
自分が間抜けな顔で固まっているのは分かっているものの、それを崩せるほど私の表情筋は器用じゃない。それを見て、光忠はわざとらしく肩をすくめおどけた笑顔を浮かべてみせた。
「無理をするのは諦めてくれたとは思うけど、深夜に寝たふりをして仕事をしないとは限らないからね」
「そ、そんなこと、う……」
図星過ぎて言葉に悩んだ。実際に前科はある。そもそも他の審神者からの情報を真っ先に入手するためにも出来るだけ長い間審神者用の情報ネットワークを閲覧していたかったし、つまり、正直言ってやる気でいた。
光忠はそれも見抜いているというわけだ。私は多分、一生このひとに敵わない。
せめてなけなしの力を主張したくて、わかった、はごく小さく呟くように答えた。
彼はそれを聞き届けると、私の頭を一撫でする。
「仕事、再開しようか」
「うん」
すっかり負けた私は、さっきよりもずっとすっきりした、でも悔しくもある気持ちで答えた。
机に向かい直す前、最後にひとつ。優しさにやられっぱなしの私は、憎まれ口のつもりで言った。
「光忠は私のこと受け入れすぎじゃないの」
優しくしてもらったくせに、ありがとうもなしに、可愛くないどころか馬鹿馬鹿しい言葉。嫌ったりしないでいてくれるという光忠は、驚いたように目を瞬かせる。そのあとに眉を下げつつも緩んだ頬で、
「君がそれを言う?」
今度は私が目を瞬かせる番だった。何を意味しているのか分からなくて、でも問いかける前に「仕事をしようか」と言われれば、流石の私でも少なくとも今話す気はないのだと分かる。腑に落ちないけれど、彼の言葉に従うことにした。