05

 ──名前の私服姿に、あのコンビニ1回で慣れるわけがなかった。
 昼時から少し前。時間通りにやって来た名前を見て、オリアスは卒倒しそうだった。何がそんなに自分をどきりとさせるのかわからないが、とにかく、その。……好きだ、と、思う。それが、かわいいとか素敵だとかより先に出てくる。
 マジカルストリートの中心部から少しだけ離れた場所を選んだが、正解だった気さえする。狼狽える男を目撃する者が減るし、名前の姿を見る者も減るから、と。まあ、名前の姿に関しては、これからどこかしらに出かける中で、絶対に多くの悪魔たちの視界に入ってしまうが。自分が隣に居るのと居ないのとでは、感じるものが絶対的に違う。

「あ、あー、その服、似合ってるよ」
「はい」
「ウン」
「……オズワールさんも似合ってるんじゃないかと思います」
「へっ、あ、アリガト」

 褒め返されるのは予想外で、声が裏返った。いつも通り、「はい」で終わるとばかり。
 そしてこの服も、“占星”を使わずに考えて選んだものである。よかった、時間かけて選んで。なんだかんだでゲームショップに行くときのような服装になってしまったけれど、故に今まで通っていたときのぶんまで褒められた気になる。
 最終的に安堵を覚え、名前の言葉ひとつで一喜一憂する自分に、頭の冷静な部分が苦笑した。
 ──こんなところ、知り合いに見せられないって。
 
「……んじゃ、出発しよっか?」
「はい」

 提案すれば、名前は頷く。ここで手を差し伸べて、繋ごうとでも言えたら良いのだが、今の関係性では無理だろう。惜しく感じつつ、隣に並ぶ。
 相変わらず、名前の表情はわかりにくい。ポーカーフェイスというより、表情筋を動かすことに慣れていないように見える。それでこそ、本心の探りがいがあって楽しいわけだが。オリアスも悪魔なので。
 ひとまず、共に出掛けられていることを喜んでおく。当て所無く歩きつつ、名前が他の悪魔にぶつかって転んだり難癖をつけられたりしないよう、注意も欠かさない。
 今日外出するらしい教師たちの情報は、“占星”で耳に入るようにしていた。更に、見つかったらうるさいであろう教師の予定は、“占星”で潰しておいた。出掛ける最中に“占星”をオンにする機会は無さそうだが、これなら顔見知りに会うことはほとんど避けられる。事前の根回しの重要さを再確認するのがこのようなタイミングになるとは。
 それでも、自らの選んだものを、名前に見てほしかった。
 それを、好きになってほしかった。

「名前はどういうのが食べたい? 名前の好きなやつにしようよ」
「……私の好きな……」

 ただ、今は情報が足りない。道が複数交差する地点で、名前に尋ねた。
 好みすら知らない今は、店も決められない。嫌な思いをさせるより、そして無意味に歩かせるより、本人に聞いた方が良い。
 当の名前は、首を傾げた。
 まさか好きな食べ物が無いわけあるまい、とオリアスは考える。悪魔は「欲」に忠実なのだから、これならいくらでも食べられるだとか、選べるならあれにするだとか、そういうものがあってむしろ当然なのだ。
 しかし、名前は視線を彷徨わせる。その行先は、自分の胸元を見ろしたのち、ぐるりの道をそれぞれに。
 この目線のやり方は、コンビニでもあった。あれもちょうど、「選ぶ」ときだった。ただ選ぶだけなら、目の前の物だけを見たり、考え込む仕草として宙を見やったりするだけで良い。だが、名前は必ず、目の向きを自分からスタートする。
 名前の家系能力かもしれない。
 考察しつつ、踏み込んで聞くことはしなかった。名前とて、勘違い由来とはいえ、オリアスの方に突っ込んで来なかった。それに、ここは学校ではなく、オリアスと名前は教師と生徒でもない。
 現時点で窺える名前の性格から考えれば、どうしても明かしたいのなら明かすだろう。きっと、「私が開示したのだから、オズワールさんも言わないといけないなんて思わないでください」と前置いて。想像にすぎないが、想像して胸が苦しくなる。名前が好きだ。

「オズワールさん。私、こっちがいいです」

 その名前の声で、思考の海から引き上げられる。名前の指さす先にある道を見る。あの通りを使うような教師は、今日マークした中に居なかったはずだ。店に入ってしまえば、なおさら見つかる可能性はグンと下がるだろう。

「じゃあ、そっちにしよっか」
「はい」

 名前が首肯するのを見届けて、足を進める。歩き方に気を付けて、名前と隣同士に並ぶ。職業の違いからか、歩幅どころか、歩むスピードがまず違った。ちまちました様子が、どうにも胸に来る。小さくてかわいい系の使い魔を見るのにちょっと近いかもしれない。だが、生徒だってそういう子はいくらだっているのに──教師として、生徒をそういう目で見たことはこの方無いが。
 というか、自分より長身の悪魔は教師にも教師以外にも数多いというのに、それでもなおちょこまか見えるのか。
 やはり胸がぎゅうっときて、そしてなんだか悔しい気分だった。惚れた弱みとは言うけれども、同じテーブルにすら座れていないなんて。片想いである以上、対面してゲームをすることもできていない。
 てこてこ歩く名前と周囲への警戒を続けつつ、オリアスは進む。名前は度々、あの目線の動かし方をした。
 そうして、ついと指をさす。
 
「あの店です」
「あそこね、オッケー!」

 示された方向にあったのは、落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。入ってみれば、内装も含めオリアスとしても好みの佇まいで、趣味が合うことに喜びを覚える。大人の男が好むようながっつりしたメニューは無さそうだが、構わない。気になる相手との初めての食事で、ずっと食べっぱなしというのは味気ない。
 加えて、穴場なのか、昼時にしては空席がある。かと言って、提供されるものが不評で寄り付かないというわけでもなさそうだ。客たちは皆美味しそうに食事をしているし、グループ席の悪魔たちは明るい顔で談笑中だ。
 名前は、知る人ぞ知る系の店に詳しいのかもしれない。あるいは、推測通り、なんらかの家系能力によるものか。まあ、どちらでも。
 にこやかで感じのよい店員に、二人用の席へ案内される。壁に接するソファと椅子のどちらが良いか聞けば、名前は逡巡したのちソファを選んだ。その座り心地が良さそうで、オリアスは内心ほっと息を吐きながら椅子へ腰を下ろす。やっぱり少しでも快適に過ごしてほしい。
 席に備え付けられたメニュー表を取って、名前に渡す。小さく頭を下げてお礼を言うのが、好きだった。
 名前がメニューと自分の間をちらちら見るのを眺めながら、そっと考える。
 ──一緒に出掛けられて、良かった。
 まだ食事も始まっていないし、昼食後も少し色々と歩いてまわる予定だというのに、もう胸の内がいっぱいだった。
 ──ああ、もっと。もっと、この子と、この子を。
 されど、悪魔の欲は尽きない。気に入ったものへのそれは、ことに果てしない。
 ──はやく、はやく、俺と同じテーブルに座って。俺みたいに、俺の一挙手一投足に感情を動かされて。
 ──まだ、まだ、焦らして。君の自覚無しに、勝手に振り回されるのだって、俺は嫌いじゃないよ。
 矛盾した願望も欲求も、ただひとつ。
 ──俺はやっぱり、君のことが好きだよ。
 そんなところに落ち着くものだから、やはり己は、まだ負け越し続けるのかもしれなかった。

二重星の浸透圧

title by alkalism 220614