01
ソファーが沈んで、身体が跳ねる。本から顔を上げると、隣にトーマスが座っていた。ミハエルのカードを取り上げたことをクリスに叱られたからか、トーマスはちょっと拗ねた顔をしている。彼は唇を尖らせたまま、私に顔を向けて首を傾げた。
「名前はデュエルやらねえのかよ」
「え、わ、私?」
聞き返すと、おう、と頷かれる。
デュエル。トーマスやミハエルが夢中なカードたちを思い浮かべる。クリスやバイロン様が教えてくれたり、さっきみたいに取り合いにもなったりするそれを、私はいつも一歩引いたところから見ていた。
「やらないのか」と言われたら、「やらない」、「やるつもりはない」と返す。
でも、デュエルが好きなトーマスに「やらない」なんて言ったら、がっかりされたり、怒られたりするかもしれない。それは嫌だ。
私は本で口元を隠す。
「……見るのは好きだけど……」
「じゃあやろうぜ」
「じ、自分でするのは、ちょっと……」
「なんでだよ」
せっかく言葉をごまかしたばかりなのに、どんどんぼろが出る。
トーマスはむくれた顔を私に寄せて、返事を急かしてくる。あんまり近いから、焦るのと恐いのとかっこいいのとで胸が痛くなって、私は本を目の高さまで持ち上げた。
「あの、わ、私、誰かと競争するの、苦手だから……」
私は嘘をつくのが下手くそだ。最終的にはごまかした意味も完全になくなってしまって、トーマスはやっぱり不満そうに「なんだよそれ」と言った。
「名前のびびり!」
「あう……」
怖がりなのは、自分でもわかっている。でも、トーマスから言われると悲しくなる。本をぎゅっと抱き締めて顔を隠すと、隣から「な、なんだよ、泣いてんのか?」と焦ったような声が聞こえた。
泣いてはいないけれど、ちょっと泣きそう。泣いてないよ、と伝える余裕も無い。本を抱き締める腕に力を込める。
と、頭の上に何かが乗せられた。
「名前は優しい子だからな」
クリスの声だ。見上げると、クリスが私とトーマスの頭を撫でながら微笑んでいた。クリスにこういうことをされると、まるで本当のお兄ちゃんみたいで、胸の奥がくすぐったくなる。「優しい子」なんて褒めてもらえたのも嬉しくて、気持ちも少し上向いた。
ミハエルが、「僕も!」とクリスに抱きつく。クリスは私たちの頭を撫でるのをやめて、目を合わせるように屈んだ。
「でも、『優しい』というのにも、『良い優しさ』と、『悪い優しさ』がある。
ときには勇気を出して、『悪い優しさ』を我慢しないといけない。それは忘れてはいけないよ」
「……、うん……」
クリスは今度はミハエルの頭を撫でながら、私に言った。
『良い優しさ』と『悪い優しさ』はわからないけれど、勇気がどうこうっていうことは、つまり、弱いままじゃいけないってことだ。
私は弱い。それも本当のことなのだろうけれど、やっぱり悲しい。私は勇気が無いから、勇気を出す勇気も無い。
横から来る視線が痛い。トーマスは、私に呆れているだろう。トーマスは私より2つ年上だ。私は子供なのに、もっと情けなく見えるに違いない。
とうとう涙が出そうになって俯く。トーマスに嫌われるのも怖い。怖いものがたくさんあるから、あっちもこっちもだめで、どうしたら良いかわからなくなる。
クリスの身じろぐ気配がした。トーマスがクリスに「あのなあ!」と言う。私の見えないところで何のやりとりをしているのかな。
そう不思議に思って間もなく、ぐいっと腕を引っ張られた。トーマスの方にだから、当然犯人は彼だ。恐る恐るそちらを見ると、トーマスが私の肩を掴む。むりやり身体ごと対面させられた。
トーマスが大きく息を吸う。
「俺が守ってやる!」
「う、え?」
「名前は意気地なしだからな。勇気を出さなくちゃいけないとき、俺が守ってやるって言ってんだ!」
言われたことを、数秒してからやっと理解する。まさかそんなことを言ってもらえるとは思わなくて、固まってしまう。涙のひっこんだ目で、トーマスを見つめる。見ようとして見たらよく分かったけれど、トーマスの顔は真っ赤だった。
なんだか私まで照れくさくなって、言葉を探す。
「……う、うれしいけど、私、なんにもお礼できないよ……」
「お礼なんか要らねえよ! だって、俺は……」
「……?」
「俺は……、……い、いいから!
ちゃんと守れるように、お前は俺のそばに居ろよ!」
トーマスは真っ赤な顔をもっと真っ赤にして言った。勢いからは、必死なのが伝わってくる。私もつい、それにつられて頷き返した。トーマスがほっと息を吐く。満足そうに笑う彼の様子に、私の返事が間違っていなかったのだとわかった。よかった。
お礼ができないのは本当だ。私に取り得なんて無い。でも、トーマスがそれでも良いって言ってくれるなら、私は甘えてしまいたい。
「ありがと、トーマス」
それでも口でのお礼くらいはしたくてそうしたら、トーマスは顔いっぱいの笑顔を見せてくれた。
──あの頃は、幸せだった。
しばらくして、バイロン様は失踪し、私たちは施設へと連れて行かれた。