ひら、と手へ舞い降りた花びらに、「もうこんな季節か」と声が零れた。
「……ああ、桜のことか」
それを耳聡く掬い上げた直江殿が、同じくぽつりと零して返す。
おや。その珍妙な声色に、隣を見た。茶屋のすぐそこにある、淡く色づいた花をつけ始めた桜樹。彼はそれを些か煩わしげに見上げている。……その目も珍しい。「不義」について話すときの憤りを宿したものに近いものの、どこか違う。
なんだか興味を惹かれて、思わず話題に設定した。
「桜、嫌いなんですか?」
「嫌いだな」
きっぱりと言ってのけられる。やっぱりちょっと、いつもと違った。不義だ不義だと騒がないからだろうか。
第一、直江殿のような人が、花を嫌いだといちいちわざわざ感じるのが面白い。漢詩を好む文化人なのも知ってはいるけれど、彼が花に強い感情を抱くのが、ちょっと想像がつかないというか。
新鮮な気持ちで、不満げな顔の直江殿を見る。彼はそれを話の催促だと考えたのか、
「桜は散る様が美しいと言うだろう。だが、散ってしまうことのどこが美しいものか」
「あー……、そういう……」
なるほど、そういう意味で、と得心する。
直江殿にとって、正しさは普遍のものだ。散って失くなってしまう桜の花は、それと反対のところにある。正しさの基準は違うけれど、普遍のものというあたりは私も同意するので、分からないでもない。直江殿の思想は花にまで適用されるのか、相変わらず過激だな、と感じはするものの。
まあ納得はいったので頷きつつ、直江殿との間に置いた皿へ手を伸ばす。饅頭を取って正面を向き直る途中、こちらを見ている直江殿と目が合った。
「お前はどう思う?」
「どう……?」
首を捻る。私に意見を求めるか。納得はしても完全な同意ではないし、だからと言って賛同しなくても面倒くさそうだ。でも、こいつに賛同するの、いやなんだよなあ。
そもそも私は、季節にあんまり頓着したことが無い。季節とは、旅をしていればいつの間にか変わっているもの、という認識だからだ。いつの間にか変わっていたことを、変わっていたことに今まで気付かなかったなりに、気付いたときに目を留めて、気分次第で楽しむもの。あと、政宗への手紙に書くことが思いつかなかったときに、間に合わせとして使うものでもあるか。
いやしかし、ただの興味本位が、桜について真面目に考えることになるとは。顎に手を当てて、色々と連想してみる。
「……でも、桜は木に咲く花ですから。幹があれば毎年咲きますし、ある意味では、永遠なんじゃないですか?」
「永遠か……?」
「えー、ほら、人は失敗しても次に活かせるとか、直江殿も言うじゃないですか。そういう感じで。散っても次があるというか……」
思ったことをそのまま口にしてみる。どうにも元々の観念は根強くて、「いつの間にかまた咲いている」というところに重きをおいた答えになってしまった。
永遠について怪訝そうに突っ込まれたときは面倒臭さを察知したものの、苦し紛れに付け足してみれば直江殿は黙る。考え込んだ様子の彼に安心して饅頭をかじった。
……直江殿が煩くなくても、それはそれで物足りないような……、気は、しているのだろうか。どうだろう。否定したいけれど、否定すると余計に肯定しているようだと政宗に言われているし……。
……せっかく饅頭が美味しいのに、微妙な気持ちになってしまった。
気を紛らわせようと、外の方に視線を投げる。茶屋のそれ以外にも、花のついた木々は立ち並んでいた。
その側を通る人々。お年寄り、商人、子供連れ。
ふと足を止めたり、指をさしたりして、皆が同じものを見上げていた。
「春だね」と、幼い声が笑う。
いつも明るい上杉が、ふわりと柔らかな色に包まれているようだった。
「……というか、民は嬉しそうじゃないですか。『春が来た』って。
桜を見て、そういう風に民が喜んでるなら、あなたはそれで良いんじゃないですか」
押し付けかもしれないけれど。でも直江殿は、自分は桜を嫌いだとはいっても、民の笑顔を疎むことはしないでしょう。
ほぼ無意識に言葉にしてから、倒れゆく何かを支えるような言動をしてしまったな、と思う。何が倒れていくのか、直江殿に否定された桜樹か、それとも桜を嫌いだという直江殿なのか、私自身にもよく分からない。ただ、そう思っただけだ。あと、柄ではないことを言ったな、と面はゆい気持ちもある。
変な反応をされていないか直江殿を窺ってみれば、彼は目を丸くしていた。あー、そうですよね、そういう顔しますよね。
もっときまりが悪くなって、無駄に手指を組み合わせる。
私がそんな風なのに、直江殿は、ふっと目元を和らげて微笑んでみせた。
「それは、そうだな。私も春という季節は、……とても、とても好きだ」
次に、優しい声。
先刻とは別の意味で、おや、となった。直江殿の、こんなに柔らかくて落ち着いた声を、私は今まで聞いたことがあっただろうか。しかも、いつもと違って静かな直江殿なのに、それが全然もどかしくない。
……直江殿は、そんなにも春が好きなのか。
言われてみれば、彼はこの穏やかで平和な陽気を好みそうではある。それに、直江殿と初めて会ったのが春だったからかもしれないけれど、彼と春はよく似合う気がした。暑苦しさで言えば夏の方が似合うだろうに、いや、春だ、と思う。私が夏を嫌うのもあるだろうが。
「……春は田植えの時期ですしね」
「ああ!」
出会いを思い出したのでなんとなく言ってみると、大きく首肯された。随分力強く答えるものだ。田植え大好きかよ。
呆れてしまうより先に、こっそり笑う。直江殿がご機嫌そうに何度も頷いていたせいだ。この人の嬉しそうな顔は、つられて笑んでしまう厄介な代物なのである。
直江殿はそんな顔のまま、気が済むまで首を動かすと、少しだけ前のめりになった。そしてこちらに顔を近づける。
「名前。来年も、共に春を迎えてくれ」
しっかりと合わせられた視線。それは、つい先程も耳にした、あの穏やかな声と同じ色をしていた。いいや、今の言葉だって、さっきのと同じく、柔らかい。
それが、私に向けられている。そう思うと、目を逸らしたい気持ちになる。でもどうしてか、逸らせない。
「──今の所、次の旅の予定はありませんので」
──「良いですよ」。
せめてもの反抗。なんとかその明確な了承だけは、喉の奥に仕舞い込んだ。
それでも直江殿は「楽しみにしている!」と笑うので、ああ、やっぱりこの人には春が似合う、と。穏やかなあたたかさを、自分の心の臓に感じていた。
title by afaik 170526