01
小豆長光が顕現されて最初に見たのは、当然ながら、新たな主となる人間の姿だった。
「わたしは小豆長光。よろしくたのむぞ」
この場で鍛刀され、今しがた人のかたちをとったばかりの小豆長光にとって、声を発するのは初めてのこととなる。喉から肺へと伝わる振動に、感慨じみたものを覚えた。
それと並行し、主のことを観察する。
こどもだ。小豆は思った。
事実を述べるなら、幼子とするには些か度が過ぎるほどの歳である。しかし、彼女を娘と言い切るには、その刀は歳月を重ねすぎていた。人の子の年齢の差異などわからない。
背丈も幼い女子の平均に漏れず、小豆よりずっと低い。小さな体躯に纏っているのは紅白の巫女装束だ。神職に就く者としての正装と言えよう。彼女は首をいっぱいに上向け、小豆の方に顔を向けていた。
その瞳は揺れている。
小豆は、すぐに違和感を覚えた。
小豆長光は付喪神だ。模造の器に宿ってから数分と経っていないが、霊体として人の傍に在り続けてきた。感情というものが表層にどう表れるのかを知っている。
だから、彼女が己を見上げてはいても、視線を合わせてはこないと、気付くことができた。
彼女は小豆の胸元あたりを見つめたまま、口を開く。
「小豆長光様。ようこそおいでくださいました。
……私は、この本丸の審神者です」
その声も、瞳の色とよく似ていた。最後の方は、特に濃く染まっていた。
「ああ。わたしのできるかぎり、ちからになろう。
あるじ」
「…………、はい。ありがとうございます。よろしくお願い致します」
審神者。刀剣の付喪神と対話することのできる、小豆長光の新しい主。たとえこどもでも、自分が彼女の持ち物であり臣下であることには変わりない。此度の務めに対する意気込みを話してみれば、審神者はぴったり45度のお辞儀をした。小豆に礼を言う声は、震えるのをなんとか抑えようとしているようなものになっていた。
きになる。
小豆は人の子が好きだ。鎌倉時代に打たれた小豆から見れば、大抵の相手はこどもだが、そのこどもこそが好きだった。そして、こどもは、こんな顔をしていてはいけない。
「あるじ」
「なん、でしょう」
「すいーつはすきかい?」
聞けば、彼女は目を丸くした。血色の悪い唇が、小豆の言葉をなぞるように小さく動く。戸惑いによって、顔を俯かせた。小豆の眉が、むう、と寄る。甘いものの話なら、こどもらしくはしゃいでくれるかと思ったのに。人の情動は知っていても、コミュニケーションの経験はまったく無い。存外むずかしいものだ。
ひとまず問いかけの答えを待つ。鍛冶場の熱に、肌をじりじり舐められる。自分にとっては生みの親に等しい炎だが、彼女は熱くないのだろうか。小豆が疑問を抱いた頃、彼女は言った。
「糖分は、脳に必要だと思います」
「じゃあ、すきかな」
「……きらいでは、ありません」
「そうか。それはよかった」
半ば言わせるかたちだったが、彼女は頷いた。小豆は微笑む。
刀剣男士には、顕現されたときから、一定の知識やスキルが備わっている。これは彼らの本霊と過去の神職者との契約によるものだが、彼ら自身の趣味嗜好に関しての知識は、特に長けるよう働きかけられていた。小豆長光の場合は、菓子へのそれだ。菓子はこどもが喜ぶ。彼女も菓子が好きならば、きっと喜んでくれるだろう。
その考えを知らない審神者は、ひたすらに困惑しているようだった。彼の顔色を窺うように、おずおずと声をかける。
「あの、小豆長光様」
「そんなにかたくるしいよびかたをしなくていいぞ」
「……では、小豆様、と」
「もうすこし、くだけたらよいとおもう」
「…………小豆さん、ではいかがですか」
「ううん、じゃあ、そのくらいかな」
探り探りで話す審神者の様子は、やはり見た目に不相応だ。子供特有のきらきらした生気が滲みもしない。目上への礼儀──神とは言っても、今は家臣の身なのだから、そこまで礼を払ってもらう必要はない、と小豆は思う──も教えられているらしい。たしか、数百年も昔の、特に家督を継ぐ子供なども、こういう窮屈そうな顔をしていた。西暦2200年を過ぎてなお、重荷に苦しむ子供は絶えないらしい。
それほど気負うことなどないのに。審神者の周りにいる神は、必然的に人の子に好意的な者ばかりとなる。頼れば応えてくれるだろう。そも、審神者を助けるために呼ばれたのが我々だ。なかなか難儀なこどもなのかもしれない。わたしもがんばらねばなあ。
「小豆な、……小豆さん。本丸を、案内します」
「ああ、たのもう。だが、そのまえに」
「な、んでしょう」
「あるじのなまえは?」
再びの問いかけに、審神者はまたもや目を瞬かせた。それを聞かれるとは思わなかった、といった様子だ。
刀剣男士という「神」に「真名」を教えることを躊躇う審神者は多い。「真名」は魂に紐づいている。そのため、通常、神や霊的存在などに真名を知られることは、その魂を握られることに等しいのだ。しかし、審神者と刀剣男士の契約上、真名を得たところで、刀剣男士にできることは無い。この契約は、審神者が上位の立場であるよう念を入れられていた。それでも真名を明かさない審神者がいるのは、個々人の危機感や不安感など、各々の好みでしかない。小豆は、それを知らない。真名を明かそうとしない審神者がいることも、彼女がそのような審神者であるかどうかも。
真名を教えるか、教えないか、彼女が選んだ答えはこうだった。
「名前、と申します。お好きなように呼んでいただければ幸いです」
「彼/彼女/名前。よいなまえだな」
「……あ、ありがとう、ございます。よろしくお願いいたします」
名を聞かれ、驚いていた審神者──名前は、真名を教えることが嫌だったわけではないらしい。その名を褒められて居心地が悪そうに身じろいだ名前は、ゆっくりと鍛刀部屋の外へと視線を動かした。顕現してすぐ案内をしてしまうつもりが、なんだか長々と会話をしてしまった。