まつろわぬ行き道
幼い頃から、「絵を描けるようになりなさい」と言われていた。
物心つくより先に与えられたのは、紙と鉛筆。上のきょうだいや親の真似をして、力の入れ方が下手くそな手で、ぐしゃぐしゃの線を引いていた。
彼らはそれを見ながら、微笑ましそうに笑い、名前に自分の作品を自慢した。多くは絵であり、ときたま彫刻であった。
その、全てが。
「写実的」という言葉ですら及ばない、モデルとなった物や風景それそのものと錯覚させられるほどの作品だった。
幼い名前を抱き上げ、親は言った。
「名字家の家系能力は、『
だからね」
優しく囁かれる。
そして、名前の手には、小さなスケッチブックが乗せられた。
「この白い紙は、あなたの世界なの。この世界に、あなたはなんでも閉じ込めることができるのよ。それが、我々名字家の悪魔のよろこびだわ」
今だ幼かった名前は、その言葉を理解することはできなかった。
けれど、物心がついて間もない、ある日。
買い物に連れ出された先で、出逢ってしまった。
ガラス細工だった。職人の手で作り上げられた、魔具としての機能も兼ね備えた飾り物。薄く薄く透き通ったガラスは、光によって色を変えた。突き抜ける晴天のような翠、雨が降る前の曇天、見たことも無いカラフルな偏光、ちかちか瞬く深い紺色。
──おそらみたい。
子供の頭によぎった言葉はそれだけだった。単純に、言葉を知らなかったのもある。
けれど、何より。
そのうつくしさに、脳のすべてを焼き尽くされてしまったのだった。
そして、その焦土から芽を出すのもまた、たった唯一の
──「ほしい」。
「……ね、え」
「どうしたの? ……あら」
その店に居た大人──のちに、ここが工芸をする悪魔の工房で、芸術家たる名字家が懇意にしているのだと知った──と話し込んでいた親は、名前の前にしゃがみこんだ。
「それ、『欲しい』の?」
「──ん、うん!」
「あら、まあ。そうなのね」
名前に問いかけ、返答に頷く姿は、喜びに満ち溢れていた。それはまさしく、我が子の成長を喜ぶ、親の姿だった。
「いやあ、お子さん、いいものに目をつけますね。うちの工房でも腕利きが作った、とびきりの名作ですよ」
「そうね、値札の桁がすごい」
「ほしい、ほしい。かいたい」
──「私が」、かいたい。
おかいものには、オカネがひつよう。それがなんだかわからないけれど、たぶんじぶんはもっていないけれど。
「私が」、かいたい。「私が」、「私の」オカネでかいたい。
親の服を引っ張る名前に、そのひとは微笑んだ。
「買えないわ」
「ど、して?」
「子供に、こんなに高い物は買ってあげられないもの」
「え……」
名前は絶句する。そうじゃない。何かが違う。
「かってほしい」んじゃない。
「私が」、かいたい。
けれど、子供には、その違いを細かく表現する能力が無い。「ちがう」と「なんで」を繰り返す。親と話していた大人を見上げるも、向けられるのは笑顔ばかり。
「こうやって、名字家は芸術家になっていくんですね。いずれ、稀代の画家になるのかな?」
「画家とは限らないわよ。魔具に目をつけたんだし、彫刻家みたいな、立体物の造型をするタイプになるかも。
ねえ、この子、もう家系能力をいくらか扱えるのよ。魔力の暴走を抑える魔具も持たせてあるから、いいかしら」
「その歳で? 将来有望だなあ。今のうちにサインもらっておこうかな」
──げいじゅつか?
──がか? ちょうこくか?
──かけいのうりょく?
────このひとたちは、なにを言っている?
「名前、これを、よーく視るのよ」
「わっ」
「『瞬間潜像』の使い方は、覚えているわね? 一瞬は無理でも、時間がかかってもいいから、目に焼き付けるの」
「……なんで」
「そうしたら、おうちで、絵を描きましょうね」
違う。
何かが、致命的に違っている。
このひととじぶんは、なにかが、どうしようもなく、ちがう。
けれど、そのときの名前は、聞き分けが良かった。親の教育は苛烈で、ゆえに家系能力の扱い方を身に着けたし、力の差を知っていた。
違和感に吐き気がしながらも、名前は「瞬間潜像」へ魔力を回した。
そうして、ゆっくり、ゆっくり、時間をかけ、360度、すべて。
頭の中に、記録した。
「ふたりとも、おかえり」
「ただいま。ねえ、スケッチブックと、画材を持ってきてくれる?
名前が、『欲しい』ものを見つけたの」
「えっ、ほんと!? ちょっと待ってて!」
帰宅した親と名前を出迎えた家族は、親の言葉に目を輝かせた。そして、すぐに部屋へ引き返し、画材でいっぱいの鞄を持って来る。
受け取った親が、名前にそれを差し出した。
「さあ、あなたの欲しいものを描いてごらんなさい。しっかり能力が使えていたなら、できるはずよ。
あなたの世界に、あなたの『欲しい』ものを閉じ込めることが」
震える手で画材を受け取りながら、名前は周囲を見回す。
期待にきらめく、家族の顔。家じゅうに飾られた、家族の手による写実的な作品たち。
名前は、ようやく理解した。
──このひとたちは、「本物」が欲しいんじゃないんだ。