071
冷凍庫からずっと異音がする。
そんな大したことのない相談ごとに、ドラルクは仕方ないなと肩を竦めた。その様子が正直に言ってとても意外で、彼をじっと見つめると、居心地悪そうに顔を背けられた。だって仕方無いだろ、私だって、助けてくれる可能性は2割ぐらいだと思っていたのだから。
次の夜になって、吸血鬼たるドラルクは、私の家を訪れた。縦長の箱の前にしゃがみ込み、下部の冷凍庫の部分だけがさがさと整理する様は、吸血鬼のイメージとはかけ離れていて、少し面白かった。「奥にゴミが引っかかってるじゃん、これじゃないのぉ、原因~」なんてぶつくさ言うものだから、余計に。
「ちょっと、何笑ってるの」
「いや、ごめん。私より吸血鬼の方が家電に詳しいものなんだなって思ったら」
「そりゃあ当然でしょう。竜の一族たるこのドラルク、家電製品にも拘り、超ハイスペックの品々を城に……、まあ全部吹き飛んだけど」
「ヌー……」
ドラルクが黒いマントで身体を覆う様は、芝居がかっているようでいて、するべきひとがするべきことをしているような、しっくりくる感じがあった。
普段は死んでばかりの彼だけれど、こういうときに、真祖の血を引くものであることを再確認する。いや、会話の流れ的にはしょぼいけれど。場所が一人暮らし男子の狭っ苦しいハウスっていうのも格好付かないけれど。あと、彼の足元に居るジョンが、城の破壊のくだりで残念そうにちょっとだけ丸まる様子はただただ可愛いばかりで、主人の威厳を若干マイナスしていたけれど。これはこれで、むしろこれが良い。
ドラルクは素晴らしい血を引く吸血鬼だけれど、抜けている部分も多々あって、ジョンはただただ可愛い。それが良いのだ。
「でも、助かったよ。ありがとう」
「ハハハ、もっと畏れ敬ってくれて構わんよ。
この謝意、ロナルド君にも見習って貰いたいものだねぇ。煎じて飲ませるから爪の垢とかくれない?」
「いや、普通に不衛生なんで無理ですね」
「ちぇー、ケチ。君がうなじの綺麗な処女だったら血を貰ってるとこだよ?
爪の垢だけで良いなんて! ドラルク様はなんて寛大なお方なんだ! これは貢ぎ物の年代物の生き血のボトルです! ぐらいしてくれるところでしょ」
さすがにそれは図々しい。その言葉と共に、軽く頭を叩くと、ドラルクは一発で砂になった。どうやら、ツッコミレベルの痛みでも死ぬらしい。フローリングの掃除が、と後悔したのも一瞬で、塵の一粒一粒が動き出し、山を作った。主人の死を悲しむジョンの隣で、ドラルクが元通りに復活する。便利だ。ただの人間たる私には使いどころがないけれど。
「まったく、殴ることないじゃないか」
「じゃれ合いのつもりだった。ごめん、今度から気を付ける」
「…………」
頭を下げて謝ると、ドラルクは苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。私の謝罪は足りなかっただろうか。彼の言う通り、あとで年代物の血液とやらを菓子折代わりに事務所へ持っていくべきだろうか。いくらするのだろう。苦学生にも払える金額だと良いのだけれど。
「……君、変な奴だよね。
シンヨコって変な奴の見本市っていうか、もはや博覧会だけど、君は変のベクトルが違う」
つらつら考えているうち、ドラルクが呆れた声で言った。そっか、と相槌してみせると、溜息を吐かれる。
「人間が吸血鬼を畏れる姿の一種といえばそうなんだけどさぁ」
顔をおさえたドラルクの表情は、当然ながら分からない。爪に塗布された赤色が、蛍光灯に照らされてツヤを出しているのだけが見えた。綺麗だ、と思った。
気付くと、喉を震わせていた。
「……ドラルクは、どうしてわざわざ来てくれたの? こんな面倒ごと、断ってくれて良かったのに」
「ハ? ……それは、私が懐のひろーい吸血鬼だから以外にあるまい。
夜通し冷凍庫から異音がするのを想像したら恐怖と鬱陶しさで砂になっちゃったから。さぞや苦しかろうと思ってね」
「……うん。ありがとう。すごくうるさかったんだ」
本当は、我慢できないこともないレベルの騒音でしかなかったのだけれど、そうだったことにしておいた。ドラルクが「わかったならよろしい」とそっぽを向く。彼に抱き上げられたジョンが、「ヌヒヒ」と笑った。両手で口元を隠しながらも笑うジョンを、ドラルクが「こらこら」と窘める。その叱り方が、存外必死で、今のジョンは良くない笑いだったのかな、と推測した。私はドラルクのこともよく分からないけれど、ジョンとドラルクの間には強い絆があるから、ドラルクはジョンのすることがよくわかるのだろう。
それが、不思議と、羨ましかった。
「……ドラルク、ひとつ、言い忘れたんだけど」
「なんだい、やっぱり気でも変わったかい? 爪の垢でもなんでも献上しますドラルク様! って?」
「いや、俺の爪の垢から離れてよ。俺の爪じゃなくて。
ドラルクの爪。
その色、よく似合ってる」
だから、仕方ないから、私には私のわかることを言った。ドラルクの手入れされた爪が綺麗なことは、私にもわかる事実だった。得意げに胸を張るドラルクの、その強い自己肯定感のしなやかさも。それを見ていたらふと笑みが溢れてしまって、ドラルクが居てくれて良かった、と思った。本当に。彼が居てくれて良かったな、と。
……それにしても、最近は爪をあまり塗らないとか言ってなかったっけ。今日はそういう気分だったのだろうか、それとも、別件で塗る用件があってそのままだったのだろうか。
疑問だったけれど、もしも私の家を尋ねるからというだけの理由だったら嬉しいな、ということを、これまた不思議と考えた。