01

 史上最悪の呪術師、加茂憲倫が何を目的に活動していたのかは判然としない。
 150年を過ぎた今に遺るのは、彼の生み出した呪術文化財の数々。
 しかし、遺さなかった、遺らなかった研究成果も存在した。たとえば単なる失敗作であるもの、たとえばあまりの禁忌に後世で証拠を隠滅されたもの、たとえばそもそも呪物ではないもの。
 ──本当に存在を無に帰すことができていたかは、別の話である。


「お兄ちゃん」
「どうした、名前」
「だっこしてもらいに来ましたー」

 読書に励んでいた脹相は、本から視線を外した。現代知識を学ぶのも重要だが、兄弟の声は何よりも優先されるべきものだった。
 見上げた先には、愛すべき笑顔。呪胎九相図の中で最も人間に似た外見の脹相とほとんど同等にそれらしい姿をしたきょうだい──名前は、幼気に身体を揺らした。
 脹相は気怠げな目をわずかに細め、本を置く。古びたソファの背にもたれると、両腕を広げた。
 間髪入れず、名前が脹相の腕に飛び込む。ふたりぶんの重みにソファが軋んだ。脹相は表に出さず、心の中で肩を竦めてみせる。やれやれ、今日も俺のきょうだいは甘えん坊で……。といった具合だ。もっとも、呆れてもいなければ、困ってもいない。自分よりも小さな体躯を抱き返しながら髪を撫でる手つきは穏やかだ。ゆっくりと動く手のひらを堪能するように、名前が脹相の首元で瞳を閉じる。

「兄さんがねえ、今日はハンバーグって」
「そうか、血塗が喜ぶな」
「うん。兄者、キッチンうろうろしてた」

 あたたかな息が首筋に触れる。受肉前にはまず感じ得なかったこそばゆさに、脹相は背を抱く腕の力を強めた。
 読書の最中は気にしていなかったが、確かに空腹を誘う香りが隣室から漏れてきている──脹相たちの家は人目につかぬ廃墟を整えただけのもので、扉など隙間だらけ、風も声もにおいも、一室ごとに閉じ込められていることがない。
 それでも、かつての自分たちがおかれていた環境に比べれば天と地ほどの差だ。むしろ、物音もにおいも、兄弟の気配を感じさせる全てが愛おしい。名前の見つけた場所だと思えば、さすがだと褒めてやりたくなる。既に幾度も実行済みだが。そのたび、名前は頬を染めて笑う。

「明日は私がご飯作るけど、お兄ちゃんはなに食べたい?」
「お兄ちゃんはオマエの作るものならなんでも嬉しいぞ」
「それ一番困る~、ってやつだ! 私の好きなのでいい?」
「ああ」

 じゃあオムレツにしよ! と名前が足をばたばた跳ねさせる。素直な反応だ。それでいい。
 兄たる脹相にとって喜ばしいのは、血を分けた兄弟たちが喜ぶこと。食事ならば、好きなものや美味しいものを食べる彼らの笑顔こそ、己の好物と言えよう。
 兄弟たちの幸福が、脹相の幸福。
 特に、150年を共に過ごせなかった名前は、尚更。
 同じ血が流れているのに、呪胎九相図ではないせいで、受肉するまで再会も叶わなかったのだから。
 瓶に封じられていた頃、硝子越しの瞳に湛えられた寂しさを、もう二度と見たくなかった。
 それは壊相も血塗も同じだろう、脹相は考える。なにせ、三人は一つで、三人で一つの、名前の兄だった。反対に、名前は一人で三人を想ってくれるものだから、返さねばならぬ情も増える。料理という行為自体も、人間に紛れ続けた名前が三人に教えたものだ。人間と呪霊との間の、受肉した呪物である自分たちに必要な衣食、その他、不必要に見えてそうではないこと。
 ──兄弟で生きるため、名前が与えてくれたものは多い。

「名前、オマエは俺の大切なきょうだいだ。壊相と血塗、ここに居ない六人と同様にな」
「……、うん!」

 なればこそ、よく言い聞かせておく。
 噛み締めるような震えを、名前が持たなくなるまで。持たなくなっても。

 次の日、名前が作ったオムレツにはそれぞれ「お兄ちゃん」「兄さん」「あにじゃ」とケチャップで描かれていて、脹相は名前の頭を撫で、壊相は名前と目を合わせて微笑み、血塗は名前に飛びついた。

きみは何座で一等星

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