24

 日課が増えてしまった。
 おはようと、おやすみと、いってきますと、ただいま。光忠とそれらの挨拶を交わす時、キスをすることになった。笑顔の光忠に、させてくれる? と問われてしまえば、もう頷くしかなかったのである。
 別に嫌なわけじゃあない。それは断固否定する。すごく嬉しい。途轍もなく恥ずかしいだけで、ものすごく嬉しい。触れてもらえる度、ああ、私はこのひとがこういうことをしたいと感じる程度には好いてもらえているのだ、と思える。ただ単純に、彼と触れ合っていられるのだって幸せだった。
 おはようとおやすみはともかく、いってきますとただいまは時間範囲的にギリギリ公私混同にならないのかと迷ったものの、それを聞いていた加州にチョップを食らった。真面目すぎ、恋と職務を無理に切り離そうとしすぎ、と。
 私が真面目だとも思えないし、今でさえ大分職務に恋情を持ち込んでしまっていると思うのだけど。
 ……時計を見る。光忠達が遠征に出る時間が近い。
 かねてから予測していた通り、次の戦場は新撰組周辺の歴史だと政府から電報が来た。満を持して練度を上げていた新撰組刀と、あと屋内戦や市街戦を予測してこちらも練度を上げていた短刀を投入することにしたので、光忠達はまたもや遠征や演習に行くことが多くなっている。そういうわけだから、見送る機会も迎える機会もたんとあるわけで、……やっぱりプライベートと分けて気を引き締めるよう気を付けなければ。
 新撰組刀といえば、近藤勇の刀であった長曾根虎徹と、その弟である浦島虎徹という新たな2口の存在が新たに確認されている。蜂須賀の兄弟らしいから、早く迎えてやりたい。いや、まあ、長曾根の方は贋作だと吐き捨てていたものの。

「名前、もう仕事に取り掛かってしまったかい?」
「ううん、まだ、……光忠っ、行くの?」
「もう少ししたらね」

 障子戸越しの声。時計を再度確認してから駆け出す。戸を開けると、すぐそこに光忠が佇んでいた。午前の明るい陽が彼の防具に反射してぴかぴかと眩しい。彼は今日も遠征だ。暫くは帰ってこないだろう。
 1歩、2歩と私の部屋に入ってくる光忠の装備が、がちゃ、と音を立てる。ゆったりと持ち上げられた手が、私の頬を撫でた。そのまま滑るように髪へ指を差し込まれる。耳に髪をかけるような撫で方だ。革の滑らかな感触を受けつつ、気持ち良さに目を閉じる。笑う気配がした。

「口付けても良い?」
「へっ」
「行ってきますのじゃなくて、ただ僕がしたいだけなんだけど。どうだろう」
「あ、ど、どうぞ」
「ありがとう」

 驚いて見開いてしまった目を、きゅっと瞑る。後頭部に彼の手が回った。この瞬間、いつも、どきっとする。
 ちゅ、と唇に柔らかいものが触れた。軽く押し付けられるようなそれにまだ慣れない、だから優しく食まれてしまうのは、尚更。光忠はきっと目を閉じているけれど、もし見られていたらと思うと恥ずかしい。今の私、絶対に変な顔をしているから。
 何度も唇を重ねられる。くすぐったいようなぞわぞわする感覚にじっとしていられなくなって彷徨わせた腕が、彼の腰のあたりへ向かった。指の先に武装が触れる。冷えた金属が手の温度を奪っていく。
 息が上手く出来ない。キスの合間にどうにか酸素を取り入れる。

「……ちゅ、……」
「はっ、んんっ……」
「……、ふふ」

 ようやく解放された時、光忠の微笑が目に入った。彼の頬が微かに赤い気がする。私よりはずっとマシだろうけど。
 呼吸を整える。髪を梳くのを再開されたものの、私はさっきみたいに目を閉じないで彼を見上げていた。光忠の金色を見つめ返す。その奥で焔がじりじりと揺らめくのがどうしようもなく嬉しかった。

「……可愛いなあ」
「えっ!? えっ、な、なにをとつぜん」
「改めてそう思ったから言ったんだ」
「またそうやって……!」

 ほんとうに恥ずかしげもなく言うんだから、このひとは。大体において私が可愛いとかあるわけがないのに。
 つい俯いて、私のどこが可愛いんだ、とぼやけば、色々全部、と返された。もう、また恥ずかしいことを。光忠が色々全部格好良いのだったら事実だけど、私のどこかが可愛いなんて納得がいかない。光忠にはそう見えると言うのなら、……女の趣味が悪い、ということなんだろうか。
 そんなことを考えながら撫でられていれば、

「……そろそろかな」
「あ、うん。そうだね。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 
 彼の手が髪からするりと抜けていって、顎を軽く持ち上げられる。ちゅ、と唇が軽く触れた。流れるような動作に反応することが出来なかったのを引きずっているうちに、光忠は1歩足を引く。手を取られたので、きゅっと握り返した。いつものことだから言われずとも目的地は分かる。照れ臭さに慌てる暇もなく、皆を見送るため、門の方へと連れられて行った。


「──仲良しだねぇ」

 皆を見送った後、青江に声を掛けられた。馬当番を頼んでいたはずだったから、行く途中だったのだろうか。
 彼の言う、仲良し、が何を指しているのかはなんとなく予想がついて、気恥ずかしさに目を逸らす。青江がくつくつと笑った。

「やっぱり主は初々しいなあ。2人には悪いけど残念だ」
「……何が?」
「ああ、些細な話だよ。言葉に含みを持たせてからかうのは、実際に恋仲となると面白みが無くなっちゃうなあ、って」
「そういうものなの?」
「そういうものだよ。まあ、もともと君の場合は知識が無くて引っかかってくれなかったりしたけど」

 わざとらしく肩を落とされる。その辺りのことはよく分からない──ひとつ挙げるなら、青江の「馬は大きいよねぇ」が何を勘違いさせようとしてるのかとか──から、そうなんだ、と返した。
 ……知識がない、というのは痛いところを突かれていると思うけれど。知識というのは何においても重要なわけで、って、そうか、恋人が居るとなるとそういう知識は殊更必要なのか……!
 頭の中で重い轟音が響く。青江に不思議そうに名前を呼ばれて、慌てて意識を引き戻した。この際だ、聞いてしまおう。

「青江。そういう知識についてなんだけど、後で」
「僕は教えないよ」
「じゃあ教えてもらえる宛てはありますか」
「燭台切に実践してもらえば良いと思うな」
「それじゃあ意味が無い気がする」

 話を察されて、とんとんと会話が進む。だけど突き付けられた答えに頭を抱えた。光忠に聞いたら意味が無い。光忠と接する時のために備えておきたいのに。
 青江はわざとらしく溜め息を吐いた。

「本当に君には知識が無いなぁ。自覚も無い。普通は恋人以外の男に、教えて、なんて言わないんじゃないかな。下心のある奴だったら取って食われていただろうね」
「……ひとつ勉強になった、ありがとう」

 青江が私を取って食うとは思わないけれど。そんな好き者、光忠ぐらいだろう。そう沢山居てたまるか。世界にとって多大な損失だ。
 ……誰でも良いって人は、居るのだろうけど。そういうの、私の観点ではよく分からない。光忠が良い。光忠じゃなきゃ、嫌だ。……光忠も、私が良いって、そう思っていてくれたら、君じゃなきゃって、そう言ってくれたら、どんなにか嬉しいだろうか。
 思考が飛ぶ。

「今の辺りは学んでいて欲しいけど、別に彼とするあんなことやこんなことについて深くを学ぶ必要はないよ」
「……でも、知識も無い奴を相手にするのは大変じゃないのかな」
「いいや、そうは思わないなぁ。ちゃんと根拠もあるよ」

 根拠。その単語につい目を瞬かせる。そんなものがあるのか。内容を教える気は無いようだけどそれはそれで良い、青江はそう思っているらしいのが分かれば。……大人の男のひとのことだから、女で子供の私には分からない、とか、有り得るし。
 
「君は馬鹿で良いんだ」
「……まあ、光忠にもよく言われるけど。ばかな子だって」
「……ふうん。ばかな子って、言われるんだ」

 そう、馬鹿なことは愚かなことだろうに、彼はそうやって私を肯定する。……ああ、なるほど。青江が言っているのは、その肯定のことなのかもしれない。
 私の言葉を弄ぶように繰り返していた青江はおかしそうだった。私の目にさえも見てとれたので、相当濃い感情らしい。
 僅かに青江の唇が動く。だけどどんな音が零されたのか、私の耳は拾うことができなかった。それを聞き返すことも、数秒前の空間の記憶から引き上げることもせず、ただ、思う。
 ──でも、それで良いのかな。本当に、良いのかな。光忠みたいな素敵な男のひとに、私なんかで。何も知らない、子供の私で。

「とりあえず、彼と上手くやってくれよ」
「えっ、あ、うん。それは、うん。ありがとう」

 慌てて答える。……会話中に考えに耽りすぎた。
 というかそもそも、話し込んでしまっている。馬当番が嫌いな青江としては先延ばしできて万々歳かもしれないものの、私はそうはいかないのだ。

「青江、引き止めてごめんね、ありがとう。お礼と言ったらなんだけど、次に池田屋攻略部隊の誰かが怪我したら、真っ先に青江と交代してもらう」
「ああ、それは良いね。最高だ」

 満足そうに頷いた青江に私も頷き返して、背を向ける。有益な会話だったけれど、少し時間を遣いすぎてしまった。早く仕事を終わらせなければ。
 執務室へと急ぐ足が速まる。なんだか、ちょっとだけ胸の辺りがざわざわとした。

心臓一つ分の願い

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