12
一睡も出来なかった。
出来るものか、そんなこと。
思わず昨晩、く、口付けられた、額を押さえた。
障子越しにも空が明るくなってきたのが分かる。睡魔がやってきてくれるとは思えないながらも気休めに潜っていた、その布団から這い出た。
乱れた髪に眉を顰めて、次いで頭を抱える。
このままでは、まずい。
いつもの朝はどうしているかを考えれば、まずいとしか言いようがない。
燭台切に起こして貰って、洗面所に行って、着替えて、燭台切に髪を梳かして貰って、燭台切たちと朝ご飯を食べて、燭台切のネクタイを締める。ほら、絶対にまずい。
だって、あんなことがあったのだ。燭台切に会ったとして、私はどんな風に接したら良い? いつも通りにすれば良いのだろうか。
そんな器用なことが私に出来るのだろうか。何もなかったように振る舞えば、あれはなかったことになるのだろうか。それはそれで悲しい気がするような。って、え? 悲しいってなんだ。頭を悩ます原因が無くなれば好都合なのに、どうして悲しいのだ。言い回しを間違えたか。悲しいじゃなくて、ええと。──ええと、浮かばない。きっと寝ていないせいだ。
大体、そもそも無かったことにしようとしたって過去は改変出来ないのだ。可能ではあれどするものか。どうしようもない。
夢であればと思うのだけれど、放置しっ放しのドライヤーが現実を突きつけてくるわけで。目が熱い。
分からないことだらけだ。分からないことばかりで、分からないものは怖くて、怖くなくなるように答えを求めて考え込んで、結局辿り着けやしなくて、だからこうやって朝を迎えている。
こうしている間にも、刻一刻と起床時間が、燭台切が訪れる時間が迫っているだなんて、悪い冗談だ。
「どうしろって言うんだ」
吐き出せば、つられて涙も溢れそうにさえなった。また布団に逆戻りして、枕を抱き締める。口元を隠すと心なしか落ち付いた。
そのままの状態で、分からないから誰か教えてよ、と呟く。我ながら駄々を捏ねる子供のようだけれど、それでも考えた末の愚痴だから、解答を見ること、せめてヒントを与えられることぐらい許してほしい。
だって、難問が沢山ありすぎる。
──燭台切と居られることへの喜びを指摘された私が動揺した理由。
燭台切が私に自分は男だと告げた、口付けた理由。
私はこれからどうすれば良いのか。燭台切は何を考えているのか。……私自身が、何を考えているのか。枕を抱き込む。指先に力を込めて布を握り締めた。
気を紛らわせようと必死な自分に笑いすら出る。
でも、思いもしなかったのだ。
人が何を考えているのかなんて分かりっこないから、対人関係だなんて苦手だったけど、でも、まさか自分自身が何を考えているか把握できないことの方が、こんなにも怖いだなんて。
ああ、もう。与えられた問題が戦略だとか計画だとか、いつものそれだったら。もっとずっと解決策は見つかったし、助言を貰えていたのに。……助言だって、燭台切にしてもらっていたことだ。
こうして振り返ってみると、燭台切は私を助けてくれてばかりだったのだと分かる。
彼は、時間がある時はいつだって、私を気にかけてくれていた。だから私は、彼を、……面倒見の良い兄さん、のような相手だと、そう認識していたのだ。
だけれど、燭台切は違うと言った。自分は兄ではなくて男だと。口付けまでして。実際そう思ったけれど、やはり少女漫画でよく見る展開だ。ヒロインに男だと意識されていないヒーローが痺れを切らしたときによくやるアレだ。
……それを、なぜ私がされる? だって、あれは、好きな相手にやるわけだろう? 好きな相手? 燭台切が、私をそう思っている?
「そんなわけあるか」
何がどうなったらそうなるんだろう。
自分が彼に好いて貰える要素など見当もつかない。好いて貰えるだなんて全然思っていなかった、だから私は、……だから、なんだって言うんだろう。
さっきから分からないことばっかりだし、自分の言葉にまでも引っかかっている。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「主、起きているかい?」
声。反射的に布団を被る。
とうとう来てしまった。
入る前にわざわざ声を掛けているあたり、もしや私が眠れなかったのだと分かっているのではなかろうか。どう答えたら良いのか知らない私は無言で返す。
何が理由か、誰かが私の心臓を握り潰さんとしていた。頭蓋の中には氷をぶち撒けられている。呼吸なんて出来ない。
みっともないなあこいつ、どうしてそんなに混乱しているんだ、真っ白じゃないか。真っ白なのは私自身のくせに、冷静な部分が俯瞰して嗤い出す。
頭に乗る感触に肩が跳ねた。
「眠れなかったかな」
いつの間に部屋に入ってきたのか聞き取る程度の余裕もなかった私には覚悟なんてなくて、布団越しに頭を撫でる手に身を固めるだけ。
燭台切の問いかけに何かを答えようとしたとして、声帯が仕事をしてくれない。撫でられ続ける間も息は詰まったままで、そろそろ窒息してしまいそうだ。
かと思えば、頭のどこかから、どうせなら直接撫でて欲しいだなんて悠長な声も聞こえてくる。
そう渦巻いていないで好い加減整理されてくれ、私の頭。
強く強く願って、
「緊張してるね」
すうっと引いた。一瞬で頭の中が静かになる。
そうか、私は緊張していたのか。
……ああ、燭台切にどう接したら良いのか答えが出る前に対面してしまったものな。だから混乱していたんだ、つまりそうだ。そんなことも分らなかった自分に呆れを覚えた。
けれど、正体の分からない感情の名前を知って、落ち着いたことには変わりない。まだまだ呼吸は覚束ないけれど、さっきよりはまだマシだ。ほっと胸を撫で下ろす。
君って本当、自分の感情に不器用だよね、と笑われた。
「そういうところもいとしいよ」
ひゅっ、呼吸が詰まる。
いとしい、って、そんな、どうして。
再び白く塗り潰される、その正体が緊張だと分かっているからさっきみたいに怖くはない、だけど混乱はする。
だって、いとしいって、つまり。本当に、燭台切は、私のことを?
頭を撫でる手が止まった。かと思えば、その手は布団の隙間から入り込んでくる。髪の流れを辿り、最後に頭へ行き着いた。髪を梳くように撫でられる。心臓がきゅうきゅう締め付けられた。直接撫でられたことへの喜びと、更に湧いた緊張が一緒くたに混ざり始める。
「課題をあげるよ」耳に届いた声は優しくて、でもどこか楽しそうに響いていた。
「問題。君は何故、そんなに緊張しているのか」
そんなの、昨日の今日で燭台切にどう接したら良いのか分からないうちに来られてしまって慌てているから、以外に何がある。
さっきも考えていたこと。課題というには簡単で、すんなり答えられる内容だ。口を開いて、答えを告げる。
「言うと思った。半分正解、ってところかな」
燭台切による評価は微妙なところだった。半分正解とはまた、酷い点数だ。
絶対これしかないはずなのに、それ以外浮かばないのに、間違いらしい。簡単な問題だと舐めてかかりすぎた。頭を撫でる手に微かに頭を揺らされながら、もう一度考え込む。
明確な議題があると、なんて落ち着いて考えられるんだろう。
数秒経ったところで、燭台切が言った。
「今は駄目そうなら、あとでも良いんだよ。時間はたっぷりあるんだから」
「……わ、わかった。もう少し考える」
急ぎで攻略しなければいけない戦場は、もう全部周り終わったしね。そう付け足されて、ハッとする。
もしかして。布団を蹴り飛ばした。起き上がる。
燭台切を見据えた。勢いのままその目を見てしまったことに一瞬怯む。目は感情をよく表すから。
燭台切が私のことをどう思っているのか見えてしまうから。でも今は私の突然の行動のせいか驚愕のみに染まっていて一安心する。
息を吸った。
「しょく、あの、ごのよん、えっと」
「うん、言いたいことは分かるし、それも半分当たってるよ。君に考える時間をあげたくて、5ー4を攻略するまで今までずっと黙っていたんだ。僕はね、ずっと前から」
燭台切はそこで一拍おいて。
「名前が好きだよ」
──そのあと、何があったのかよく覚えていない。
夢を見ていたような、正確に言えば上の空だったというか。思考回路が完全にストップしてしまったというか。
覚醒したときには起き上がった時の体勢のままで、時計を見れば起床時間から10分ぐらい経っていた。
その間に燭台切は行ってしまったらしく、枕元に「朝餉の準備があるから行くね。皆には君の体調が悪いって言っておくし、君の分の膳は部屋に持って行くから、午前中は眠っておくこと」という書き置きがある。
ああ、目の前で燭台切に手をひらひら振られたり呼び掛けられたり、反応を窺われたような気もする。私の机に向かって物を書く燭台切の背中も見えていたような。朧げな視覚情報が今更頭の中に入ってきた。
そして、深く溜息を吐く。
「だから、眠れないって……」
少しは落ち着いたはずだったのに、いとしいだの好きだだの言われたら気にしてしまうじゃないか。
頬が熱い。心臓が煩い。手で顔を覆う。指先が冷えていて気持ち良い。胸の奥がもやもやする。複雑に絡み合い相反した感情が顔を覗かせている。
燭台切の、好きだよ、の声は耳に張り付いていて、何度も何度も再生された。決して離れてくれやしない。
こんな状態で、一睡も出来るはずがない。出来るものか。