09
名前の顔が真っ青なのを見て、オリアスが放っておけるわけがない。
「名前、ちょっと外出よっか」
「……、で、も、せっかく」
「大丈夫だよ。また来よう今はちょっと、休めるところに行こう」
「……はい」
名前はいくらか渋ったのち、どうにか頷いてくれた。それにひとまず胸を撫で下ろし、そっと肩を抱いて進む。未だ震える腕は念子を抱き締めていた。それが縋っているように見えて、そんな小さなマスコットではなく、自分を求めてくれたら良いのに、と思ってしまう。
ゲームセンター特有の熱気から抜け出し、近場の喫茶店へ入る。混み合う時間を外しているので、人は少ない。奥の席に座らせて、「何か飲み物持って来るよ。嫌いな物ある?」と尋ねる。今好きな物を尋ねるのは、まずい気がした。
名前がゆっくり首を横に振るのを見て、冷たい魔茶を頼むことに決めた。自分が座るぶんの席に荷物を置き、カウンターまで行く。
注文の品が出て来るまで、名前の様子を見続けた。
心配だった。
オリアスは、決して冷血ではない。むしろ他者を慮る心があるからこそ、悪魔学校バビルスの教師としてやっていけているのだ。その気質が、想いをかたむける相手に強く表れぬわけがない。
プラスチック容器の魔茶を受け取り、テーブルに着く。
名前も少しは落ち着いてきたのか、血の気はやや戻ってきている。しかし、オリアスを窺うように見上げる目には、焦燥が浮かんでいた。
「飲めそう?」
「はい……」
いつもの返事にも、いつも以上に覇気が無い。名前はカップを小さく傾けた。オリアスも喉を潤す。
そして、カップを置いた。
「……何があったのか、聞いてほしい? 聞いてほしくない?」
「…………」
「じゃあ、もうちょっと考える時間が欲しい? 俺はいくらでも待ってられるよ、他の人とゲームしてるときもよくあることだし。
それで、名前が言わないって結論を出したって、構わない」
「……はい」
お言葉に甘えます、と深く頭を下げられる。好きな動作だ。けれど、そこまで畏まらなくてもいいのに、気安くしてほしいのに、という気持ちもあった。
言った通り、オリアスはちびちびと魔茶を飲む。メニュー表を手に取って、待つのが嫌ではないというアピールも欠かさない。忍耐が苦手な悪魔だからこそ、自分の好きなように時間を使えるから飽きずにいられるというパフォーマンスは大事だ。
教師としてのオリアスは、その若さと性格もあって、生徒との距離は程よく近い。相談ごとに乗った経験も少なくなければ、生来の気質と趣味ゆえに相手の心理を見抜くことに長けていた。
そういうわけで、名前にできるだけ負担をかけない言葉を選び、名前の結論を待っていた。
それが、たとえば、オリアスが強引に誘ったことや、能力を使って──使ったこと自体には気付いていないだろうが──名前の諦めていたものを実現させたのが良くなかったのだ、という答えに至ったのだとしても。あやまちは取り返すものだ。むしろ、名前がここまで感情を揺らすのを見るのが初めてである以上、ある意味ではチャンスになる。名前には悪いとも思うけれど。
「……おずわ、る、さん」
「うん、なぁに」
優しい声音を作って、聞き返す。名前の視線がふらついた。家系能力を使っているらしきあれとは別の、悩んでいるときのそれだった。
「……オズワール、さん、は、……オズワール、さん、と……」
「ゆっくりでいいよ、大丈夫」
急かすことなく、安心だけを与えようと試みる。言いたいことがまとまらないのか、それとも言語化するにはまだ遠いのか、名前は口を開いたり閉じたりするのを繰り返していた。
その胸に、マスコットがぎゅうっと抱き締められる。
「……オズワール、さんと」
「うん」
「オズワールさんと、なかよくなるには、どうしたらいいですか」
やっとのことで紡がれた言葉は、オリアスの予想の外にあった。自分の目が丸くなっているのがわかる。
「今でも、けっこう仲良くなれたんじゃないかと俺は思ってるよ。
もっと仲良くなりたいなって思ってもいる。
だからこうやって、遊びにも誘ってるんだよ」
「……そ、れは、……だけど、そうじゃ、ない、そうだ、けど、そうじゃ、なくて……」
名前の声は消え入りそうだ。クロスさせた腕の、各々反対の肘を掴んだ部分が白くなっている。
怖がらせぬよう、オリアスは慎重に手を伸ばす。必ず名前の視野に入るのを意識して、逃げられる時間を作る。それでも名前は何も言わず、動きもしなかった。安堵して、力の篭りすぎた片手指を一本一本、引きはがしてやる。そして代わりに、自分の手を握らせた。
「大丈夫。言いたいことがあったら、それだけをゆっくり教えて」
氷のように冷たい手が痛々しくて、心が痛む。
こんなに殊勝な自分は、珍しいかもしれない。それも名前にもたらされたものだと思うと、悪くなかった。
名前の手は、握ったときにびくついたけれども、拒絶を示さない。どころか、弱い力をこめ返してきた。
「……オズワールさんは、…………」
「うん」
「私と…………」
そこで、名前は口を閉ざした。幾ばくか置いて、「すみません」が続けられる。
もう話せないのだと、オリアスはわかった。
手をもう一度、ぎゅっと握り返す。
「話してくれて、ありがと」
「……いえ」
「また、おでかけしよう。今度は名前の家だっていい」
「はい……」
言いながら俯いた頭に、空いているほうの手を乗せる。
それは慰めるためでもあったし、──自分自身がどんな表情をしているか、名前から隠すためのものでもあった。
オリアスは、確信していた。
──名前は、俺に欲を抱いている。