①
今日は散歩日和だった。少々風は冷たいが、明るい日差し、葉を紅く色づかせ始めた木々。良き秋の日に、名前は誘われるように外に出た。
惜しいのは、恋人がアルバイトの日であったこと。これほどデートに適した日も無いだろうに。朝のニュースの占いだって、自分の星座が1番で気分が良かったし、外出を勧められていた。
とはいえ、ひとりでのんびりするのも悪くない。商店街をぶらつき、お腹が空いたら買い食いをして、最後になんとなく公園へと足を進めた。
「……ああああい!!」
──随分元気な絶叫だ。
聞こえてきた方向に名前が目を向けると、3人の少女が自販機の前でたむろしていた。
「なんで売り切れてるんだよーーーー!! あたしのおしるこーーーー!!」
──そろそろ喉が渇いたと思っていたんだけど、……違う自販機にしよう。あっちにも確かあったはず。
名前は少しだけ道を逸れて、別の自動販売機の前に立つ。「あったか~い」と分類された缶のラインナップに目を通してから500円を入れ、ボタンを押した。がこん、と缶が落ちる音と共に、自動販売機についていた小さな画面の中でスロットが回りだす。
「…………あ、当たった」
これは運が良い。もう1本貰えるという表示に従って、迷わずボタンを押した。必要がなくなった分のおつりも受け取って、名前は少女たちの元へ向かう。
3人の少女の内訳は、頭を抱えている1人、それを宥めている2人。見てすぐに先ほどの声の主が分かり、思わず笑みをこぼした。そんな名前に気付き、彼女らは自動販売機の前から避けようとする。すみません、の言葉に名前は、いや、と否定した。そして今持ってきた缶を少女に差し出す。
「これ、あげる」
これ、とは、おしるこだった。
「……す」
「す?」
「救いの神だーー!! 救世主だーー!!」
またもや公園中に響き渡る大絶叫である。
項垂れていた少女は目を丸くしたのち、諸手を挙げて喜んだ。
「そこまで喜んでもらえると嬉しいなあ」
「神様ありがとう!」
「神様じゃないよ」
彼女に缶を手渡して、名前は苦笑する。おしるこを求めていた彼女に輝いた目で見つめられ、くすぐったいを通り越して少し居心地が悪い。
「あの、ありがとうございます。……えっと、お代は」
「ん、いいよいいよ。来る時、そっちの自販機でたまたま当たっただけだから」
先程宥める側だったうちの1人、大人しそうな少女が、自分のことのように頭を下げる。もう1人、落ち着いた雰囲気の少女も、ぺこりと軽く礼をした。
「ご親切に、友人の我儘を聞いてくださってありがとうございます。
……マキジ、やはりあの叫び声は相当大きかったようだな」
「な、なんでその話になるんだよう」
「この御仁は向こうから来たらしい。つまりマキジの汁粉を求める声がそちらの方に居た彼女まで聞こえるほどだったというわけだ」
「う……」
確かにそうである。冷静な推測に感心すると同時に、この3人組の力関係の片鱗を見た気がした。とはいえ仲が良いのは確かなようで、なんとも微笑ましい。
名前は彼女らを知らないが、おしるこの缶を握りながら唇を尖らせる少女はマキジこと蒔寺楓、蒔寺を静かに咎める少女は氷室鐘、2人を見守って困ったように笑っている少女は三枝由紀香という。穂群原学園陸上部の仲良し3人組だ。
バツが悪そうにしていた蒔寺はやがて名前の方へ視線をやった。
「お姉さん良い人だからさー、悪い人に捕まんなよ」
「突然どうしたの」
「ちゃんと考えてみたら、お姉さんってお人好しだなーって」
その言葉に名前は首を傾げる。
自分がやったことは、商店街の気の良い肉屋さんがよくおまけをくれるのと何ら変わらない。
それに名前の持論では、食べたい物を食べたい時に食べられないのは、案外辛いものである。アルバイターな恋人が転がり込んで来る以前、一人暮らしをしていた大学生としては、それを思い知っているつもりだった。
困惑する名前に、氷室が眼鏡の奥の目を瞬かせる。
「自販機で当たりが出なかったとしても、マキジのために汁粉を買うつもりだったのでは?」
「まあ、そうだけど」
名前が答えると、3人は顔を見合わせる。その反応にやはり納得できず三枝を見れば、自分に振られたことに驚いたのか黒く丸い目を更に丸くした。最後には曖昧に微笑まれる。
「お姉さん、悪い人についてくなよ」
最初から砕けていたが、更に砕けきった様子になった蒔寺に忠告された。心配してもらった以上、名前も素直に頷く。
「私たちも、前にここでナンパに遭ったことがあります。お気をつけて」
「このあたしも油断したからな! あのお兄さんは手練れだ」
「ああ、手練れだったな」
このあたしも、と言われても説得力に欠けている。しかし氷室も肯定したので、名前も考え直した。気を付けておくに値するレベルではあるのだろう。ということは。
「それ、大丈夫だったの?」
目の前の3人はまだ年若そうに見える。厄介なナンパを対処しきれたのか。本当に心配されるべきは彼女らだろう、と名前は聞いた。
その問いに、氷室が首を振る。
「御心配なく。我らで撃退しました」
「そうそう。お兄さん、ホットドッグ食べたあとどっか行っちゃったんだよなー」
「うん。嫌いだったのかな」
────ちょっと待って。今、なんて言った?
「……ホットドッグが、弱点なんだ?」
「どうやらそうだったらしいです」
名前は顔が引きつりそうになるのを、すんでのところで止めた。気まずくなったら良いのか、笑ったら良いのか分からない。どちらかというと笑ってしまいたいが。
思い当たる人が居るのである。
いつぞやか店のホットドッグを見て、「オレは犬の肉が食えねえんだ」と苦虫を噛み潰したような顔をしていた誰かさんが。
「もう同じ手段は使えないでしょう。
──青い髪の男にはご注意を」
ビンゴだった。さすがの名前も硬直する。予想通りが過ぎた。
クー・フーリン。
3人の挙げ連ねる人物像は、間違いなく名前の恋人のものである。
思わず彼女らを改めて見回した。……なるほど、確かにこれだけ可愛らしい女の子が和気藹々としていれば、彼も気を惹かれるはずだ。
「わ、悪い人ではないんですよ。わたしたち、個人的に親しくさせてもらう機会もあったし……」
三枝がその小動物のような風体で一生懸命弁護する姿に、名前もついに笑った。
──彼は悪い人ではない。いや、一般的な価値観を適用させてくれる存在ではない。
そんなこと、知っている。名前は確信していた。
自分は彼と長く過ごしていて、彼をよく見ている、という自負があった。
そしてそういう日々の中で、名前は新しいことにも気付いている。
「その人なら大丈夫だよ、もうナンパをやらないから」
……かつて、彼に申し込んだ勝負を思い出す。自分がその勝者となっていたことを自覚したのはいつだっただろうか。
「あの人と知り合いなんですか?」
不思議そうな三枝に、名前は惚気を聞かせて良いものか、と思案する。
やがて簡潔になら、と結論を出した名前は知らない。
彼女らのうちの1人、氷室鐘が「恋愛」というものには強烈な興味を示すことを。