160214
世の中が浮足立っている。今日こそがバレンタインデー。嬉し恥ずかし、甘かったり苦かったりする一大イベントである。
「ただいま」
「おかえりー!」
クーの声に、玄関まで走って行った。バイト帰りの彼を見てみると、うん、予想通り。手には可愛い箱、ラッピングの綺麗な袋、高級そうな包み、と色んなお菓子が入ったトートバッグを持っていた。こんなこともあろうかと、朝そのバッグを渡したのは私だ。役に立ったみたいで良かった。へっへん。キスを受けつつ、クーと隣同士で部屋に向かう。
部屋に入って、脱いだ上着を椅子の背もたれに掛けているクーの背中をつんつんと突いた。不思議そうな顔をして振り向く彼へ腕を伸ばす。
その頬をむにっと引っ張った。
「あにすんあよ」
クーは痛くもなんともなさそうだ。動じずに尋ねてくる。
ある種の儀式じみた行為というだけだから、すぐ手を離してしまっても別に構わない。でも、どうせだし指先をうにうに動かして肌の感触を味わってみた。特別気持ち良いわけじゃないとはいえ、肌は滑らかだ。別に手入れをしているわけでもないはずなのに。これが……英霊……?
衝撃を受けはするものの、まああんまり長いことしなくても良いのでもうやめる。
「よし!」
親指を立てておいた。
それを見た彼はくつくつ笑って、ちゅ、と頬に口付けてくる。うむ、満足。楽しそうなクーに心がほっこりする私です。
クーはテーブルの上に置いていたトートバッグを漁って、中から包みを取り出し始めた。
「モテますなあ」
「見る目のある嬢ちゃんたちだよな」
「うん」
真剣に頷く。クーは本当に格好良いから。
バイト先にも彼が目当てで通う常連のお客さんが居ると聞く。それからバイト仲間の女の子の中にだって彼に惹かれている子が居そうだけど、クーはバイト先で私のことを話しているらしいし、そのあたりはどうなんだろう。
あ、あの高級そうなやつ、あそこのお店のだ……。箱に書かれている店名に、軽く口が開く。やっぱりお高い……。
思わずまじまじと見ていると、クーは、
「ンな目で見て、食い意地張ってんなあ」
「く、食い意地ではないです! 凄いの貰ってるなあって思って!」
「へーへー」
隙あらばからかってくる恋人だけど、そういうところも含めて大好きであります。くっそう、好き!
愛おしさと反抗心をいっしょくたにして彼の背中に飛びつく。にやにや笑っていたクーは、はは、と笑い声を零した。
「ま、ホントに食い意地張ってたとしてもオマエにゃやらんぞ」
振り向き、私を見下ろして、クーは言う。緋色の瞳は決して揺らがずにこちらを見つめていた。
「嬢ちゃんたちの勇気と誇りと情が詰まってんだ」
──やっぱり、本当に格好良い人だ。
誇りの高い人だから、人の誇りも踏みにじらない。あなたにこれを食べてほしい、と自分に向けられた信頼を裏切らない。──そういう人を、私は好きになったのだ。
背中にすりすりと頬を擦り付けると、こそばゆい、という声が降ってくる。それに知らん顔して、昂ぶった気持ちが落ち着くまで発散させてもらった。粗方落ち着いたところで、彼の腰に回していた腕をするりと抜く。爪先をキッチンに向けた。向かう途中、彼の横を通った時、にんまり顔が見えた。期待してます、と言わんばかりだ。
その期待、ささやかながら応えさせてもらいます。
前もって準備しておいた箱を持って来て、彼の目の前に。
「私の勇気と誇りと情も受け取ってくれる?」
「是非とも」
「いえーい! 本命です! よろしくね!」
チョコレートを片手で持って、もう片手で万歳する。クーは箱を受け取ると、私の腰を抱いた。あまりに自然な動きに、この人との経験値の差を思い知る。
ぐぬぬ、と思いはすれど、素直に従って彼に着いて行った。クーはベッドの上にどかりと座る。ギシ、とスプリングが音を立てた。クーってなにやらそこ好きですね。私も好きです。座り心地が柔らかいのは良いことだ。
彼の隣に座って、箱にかかったリボンを解くのを見る。かぱりと箱が開くと、空気にチョコレートの甘い香りが溶け出した。中に入っているのは、スタンダードなトリュフチョコ。凝ったものにするのも考えたのだけど、そういうのは普段作っているから、敢えて正統派を狙ってみた。
クーはそれをひとつつまんで、口の中に放り込む。それをもごもご咀嚼すると、指先についたココアパウダーをぺろっと舐めとった。
「美味い」
フォローを入れていると言うには程遠い声色に、私はほっと胸を撫で下ろす。口に合ったらしい。
「良かった」
私の言葉を聞いて、クーは私に箱を差し出した。
「名前も食ってみろ」
「味見したから分かるよ」
「まあそう言わずに、もう一度味見したって良いんじゃねえか」
クーはゴリ押ししてくる。こんなことをされたら、彼の思惑など予想がつくというものだ。伊達にこの人と日々を過ごしていない。
「先生! 頷いたが最後、味見を理由にキスされる気がします!」
「はっはっは、バレたかー」
「お見通しです!」
「まあしたいからするわ」
ですよねえ! いつものパターンですね!
後頭部をがっつり抑えつけられるのを感じて、次に唇で触覚が反応する。抗議のために背中を叩くにしても、暴れればクーが持っている箱の中身が落ちてしまうかもと考えると、そうもいかない。あー、あー、あー、私がどうも出来ないから気分が良さそうだー。私が抵抗しても楽しそうにするけど、これはこれで楽しそうだー。というわけで、どっちにしたって彼が得するだけなので、結局私の一人勝ちにはならない。悔しい。
ぬるぬると口内に侵入してきた舌が、執拗に私のそれに擦り付けられる。味蕾が生ぬるい唾液の味と、微かな甘味を拾い上げた。味見させる気満々でありますな!
やがて解放された私がぜえはあ息を整えている間にも、クーは息ひとつ乱さずに次のチョコレートを食べ始める。
「味の感想は?」
「うー、うー、私こんなに甘く作ったっけって味」
「はは、的を射てる。オレも相当甘かった」
「あーー」
も、もう、この人はなんなんだろう。私が持ち直してきたあたりで問いかけてくるクーに頭を抱える。気障な物言いをしおって。女泣かせめ。
惚れた弱み、という言葉を信じるのなら、私はどうしたって彼には勝てないのかもしれない。だけれどそこで諦めたら試合が終了してしまうので、なんとか反撃を試みたいところである。
箱に入ったチョコレートに狙いを定める。素早く手に取った。唇に挟む。クーの顔を見る。ちょっとばかりぽかんと口が開いていた。好都合だ、と思う。
──さあ、覚悟!
君の唇まで、後10センチ
「また負けた!」と叫ぶまで、後2時間