03
気付いていたことがある。自慢じゃないけれど、ずっと前、彼と恋人同士になる前から。その時にはただ薄々と感じていただけで、しっかりと分かったのはつい最近だ。
──クー・フーリンという男にとって、ある1つを除いた何もかもは、捨ててしまえる存在なのだと。
彼と同じ時代に生きてもいなければ、聖杯戦争というものに参加もしていない。私は戦う彼の姿を見たことが無いけれど、確信を持って言える。彼にとって、戦いこそが全てなのだ。沢山話を聞いた。どこの人々と、どんな魔物と、どれだけ戦い、どれほどの命を奪ったかを。
そして、英雄としての武勲を語る彼の目は、声は、見たこともないぐらいに生き生きとしているのだ。獰猛で、野蛮で、心底楽しそう。惚れた弱みでもなんでもなく、彼以上の戦士は存在しないのではないかと思った。武力としての強さだけではなく、何よりその精神性において。
彼の在り方は運命愛とほんの少しだけ似ている。愛するとまではいかなくても、どんな状況でも受け入れて、それがどうしたと生き抜いてしまう。だからこそ彼は、敵であれば誰でも殺せ、殺すのだ。見知らぬ相手も、嫌いな相手も、親しい相手も、愛する相手も、全て、何の感情もなく殺す。そこに後悔も感慨も無い。ただ運命を、殺した命を背負い、その重さに苦痛を抱くことなく笑う。必要であれば、彼は私のことだって殺す。
人間の精神として完全すぎるがために、人間の域を脱している。光に満ちすぎているがために、何処か薄気味悪い。──彼のことを知っていって、そのうち、そう思った。
彼は、「可笑しい」。だというのに、知れば知る程、もっと彼に惚れ込んでしまう。その歪でなさすぎる魂に魅せられてしまう。恐ろしいはずのものを、どうしようもなく美しく思う。彼の言葉伝いにそれを知った私でさえこうなのだ。実際に戦乱の中にあった生前の彼を見ていた女性達は、きっと、もっと。……彼が自分の正体を明かしてくれて、嬉しく思う。
──なんて小難しいことを色々考えてはみたけど、やっぱりこういうの性に合わないや! 私は彼のそういうところをとっても格好良いと思う、彼が大好き、結局はそういうこと!
「ね、クー。膝、座っていい?」
「ああ、ここはオマエの場所だからな」
「やった!」
彼の返答は上々。では遠慮なく。向かい合うような形で膝に座る。続いて彼の両頬にそれぞれの手を添えて、ぐっと顔を近づけた。青く長い睫毛に縁取られた、爛々と輝く緋色の瞳がそこにある。それが不服そうに歪められた。
「……なんだ、キスしてくれんじゃねえの?」
「え!?」
まさかの発言に思わず手を離して仰け反った。危ねえな、と言ったクーに背中をがっちり抑えられていなければ、きっと頭から転げ落ちていた。体勢を立て直して、クーの肩に手をつく。
「あのね、クーの目を見てたんだ」
「オレの目?」
「うん。瞳孔が円じゃなくて縦なの」
「ああ、成る程な。物珍しかったか」
クーはこくりと頷いた。私の行動を理解してくれたことだし、もう一度観察させてもらう。ただひとつ、訂正をしながら。
「珍しいっていうのは確かに珍しいけど、どちらかと言うと格好良いからよく見たかったんだ」
「……オマエよ、オレだったらなんでも格好良いんだろ」
「なにをう!」
そんな、まるで私が節操なしみたいな言い方じゃないか。クーが格好良いから格好良く見えるのであって、別に私が見境がないわけではない。そして私はクーの全部を格好良いと思っているから、──あれ、節操なしなのは本当なのかもしれない。閉口した。
「ま、嬉しいがね。オマエに格好良いって思われんのはよ」
クーはいかにも気取っている顔だ。完全に大人の余裕である。格好良い。あ、また格好良いと思ってしまった。仕方ないね、大好きだもん。一気に開き直ることにした。全部が全部、ぜーんぶ、格好良い。彼の頬をそっと撫でる。かさついたところがなくて、するっと指が滑った。
「クー、素敵だね」
思わず溜息。神の子って、皆こうもうつくしいものなのかな。潮風で少し痛んだ青を、薄い唇を、鎖骨の浮き出た首筋を、順に指でなぞる。どれもこれも、何もかも、綺麗だ。でも今見たものの中なら、海色の髪が、ううん、それよりももっと、やっぱり、目が好きだ。決して曇らずに前だけを見据える、自分への自信に満ちた、その目が好き。光の加減で夕焼けをずっと濃くしたような色にも、私の作った影で血のような色にも見える緋色。……血、か。ああ、私が、もっと、一番好きなのは。
「クー、格好良いね」
そっとクーの右手を取った。彼の手が多くの命を奪ってきたことことは知っている。伝承を読んだし、本人の口からも凡ゆる武勇伝を聞かせてもらったのだから。あちこちの皮膚が固くなった手のひらは、私の想像のつかない程の血に塗れたのだろう。けれど奪うだけの手ではなかったのだと、私は分かった気でいる。彼の手は、多くの物を守ってきた手なのだと。
彼自身の名誉と誇り、愛した国や人や仲間の想い、命、未来。全てをその身に託されて、この手で武器を振るってきたんだと。だから私は、この手が殊更好きだ。平和な現代日本でぬくぬくと暮らしてきた私には遠すぎる世界のことだから、想像することしかできない人間の、甘っちょろい考えで終わってしまうけれど。
……あれ、また難しい方向にいっている。だから性に合わないんだってばあ。気を紛らわそう。彼の手に指を絡めて、ぎゅっと握る。持ち上げて、唇を触れるだけの口付けをした。
「くすぐってえな」
「へへー」
「仕返しだ」
「へっ!?」
ちっとも堪えていないような口振りに、クーってば本当、余裕綽々なんだから、とか、そういうことを思った矢先。今度は私が指先に口付けられて、変な声が出てしまった。びっくりした。しかもたったそれだけの動作なのに、ものすごく絵になる。キスされたのも恥ずかしいのに、それを見てしまったのも合わさって、心臓がどくどく音を立てる。
「名前」
「ひえ!?」
反対の手が私の腰を撫でた。それも直に。服の裾から滑り込んだ手がゆるゆる動く。堪らなくなって彼の首に抱きついた。
「セクハラあ」
「何言ってんだ、セクハラじゃねえだろ」
「ぬう」
クーは真顔で言い放つ。確かにそうだからどうしようもないのだ。セクハラという言葉の概念について、古代人な彼に骨をばきばきに折りながら説明したところ、彼曰く、別にオマエは恥ずかしがってるだけで嫌がってねえよな、と。
私も私で、完全に図星としか言いようがない反応をしてしまって、彼は嬉しそうににやにや笑って、それ以来セクハラ──もどき、が増えた。とても、とても恥ずかしい。
「……うう」
クーの方をちらっと見れば、彼もこちらを見た。視線が合う。頬に手を寄せられた。慌てて目を閉じる。唇に温かいものが重なった。
離されてすぐ、彼の首筋に顔を埋めて逃げる。顔が熱い。
「いつになったら慣れるんだオマエ」
「……むしろ好きになればなるほど恥ずかしくなってしまってだな」
「そんなんじゃこれからもっと照れるようになっちまうじゃねえか」
「…………ごもっともです」
「もちっと頑張れ」
「う、はい」
のろのろ顔を上げると、クーが苦笑いしている。頬を撫でられた。気持ち良い。その手のひらの感触をもっと拾い上げようと目を閉じる。
──彼に初めて素肌に触れられたときに、気付いたことがあった。私に触れる彼の手は、ひどく優しい温度をしているのだ。それは、そう。形容するなら、愛おしげ、という言葉がよく似合う。彼は結局、口で示すより、行動で示す方が向いているということなのだろう。色んなものを護ってきた手が、愛おしげな手つきで、私に触れている。
──幸せだなあ、と思った、刹那。
「んー」
「んん!?」
なんということだ! 唇に柔らかい感触。目を見開くと彼の顔があって、硬直するままに数秒。
「ちょ、クー!」
「なんだ、キスして欲しかったんだろ。目ェ閉じてただろうが」
「今のはそうじゃないやい!」
唇が離されて意義を申したてるも、勘違いしていたクーはきょとりと首を傾げるものだから、ついついうがーっとしてしまう。彼はまた首を傾げた。
「嫌だったってのか」
「むしろ嬉しい!」
「ならいいだろ」
「確かにそうだった」
クーが不思議な顔で言うことをよく考えてみると、うん。そうだった。なんで私怒ったんだろう。私の答えを聞いて、クーもはは、と笑った。
「変な奴」
「うん、私変なこと言った」
「おう。だから幾らでもキスしようぜ」
「う、……って、騙されないぞー!!」
「チィ、しくじったか」
しまった! 肯定するところだった! びっくりするからやめてほしいっていうのに! クーの肩をべしべし叩く。しくじったなんて言っておきながら、クーはちっとも堪えたような顔をしていない。
そりゃあそうだ、この人は私が断ったところで自分のしたいようにするだけだろう。そういう人だから。絶対に自分を曲げたりしない。それは私が彼を好きな理由の一因なわけで、──ああ、どうしたって。だから、私は彼の全部を許してしまうんだよなあ。だって、こんなに格好良いんだもの。